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2012年01月11日

コラム(2)それから

2012年1月11日(水)コラム(2)それから

前回の昔話の続き。

前の記事→http://wikipedisamba.ti-da.net/e3690741.html

勿論あの頃はCDもありません。レコードだけ。
ましては映像なんかVHSもDVDもありません。
現地の映像は本当に見たかった。
テレビで出るカーニバル映像なんて、私が見たいバテリア
など出てもほんの数秒だけ。
私はバテリアだけ様々な角度で最低2時間は見たいわけです。
ダンサーばかりしか放映しないわけです。
だからあの当時も現在でもサンバ=裸姉ちゃんと言われる。
裸姉ちゃんもスッゴク素敵で大事なんですが・・あうう。
この思いが後に映像記録の動機に・・・

バテリアが入っているレコードの入手も大変でした。
中古レコード店とか、ディスクユニオンの何とか店に
詳しい店員がいるとか、そういう口コミ情報で
知識のある店員の方々から教えてもらいました。
きっと何十名も殺到?そんないないか?
その中で当時バルバロスの鷹取さんには大変に
お世話になりました。あの頃、信じられん数の
サンバ関係のレコード収集者。全国3位に入る?
で、カセットテープにオムニバス編集してくれて
いろいろ聞かせてくれました。(ま、コピーですな)
もう貴重でした。唯一の音源ですから。

ブラジルに行くチケットも、あの頃は往復で40万円前後。
知りあいにブラジルに行った人は皆無。
実際の情報なんかほとんどない。
80年代の東京で、生の動いているブラジル人を
初めて見たのはフランシスかも。そんな時代でした。

そうこうしているうちに、一度沖縄に帰省。
第一回世界のウチナーンチュ大会が開催。
前夜祭でのブラジルのコーディネーターを担当。
しかしバテリアもダンサーもいません。
バルバロスからバテリアの衣装を譲っていただき
アーラとして使用。羽根はなしでダンサーのタンガを
10着ぐらいお借りして、アメリカンスクールの
ファンキーな姉ちゃん10名を用意。
別にサンバをちゃんと踊れているかどうかは関係ない。
客はそんな所は見てない。若くて元気があればGOOD!
で、なんちゃってALAも作り、沖縄のブラジル関係者と
今はなき「南米資料館/ポン・ジ・アスーカル」の
照屋さんのご協力で連日連夜製作。
飛び込み企業の広報に援助の交渉。KDDがTシャツ制作、
シェーキーズからピザハットの提供を受けました。
おかげでどんなに助かったかもうもうもう。
何百名のブラジルアーラでバテリアはたった2名。
今では考えられない無茶をしたなぁと反省。
東京から諸橋さんマラバとブラジル人ダンサー2名を
ご招待し(マジ)大暴れ。沖縄県民がブラジル人ダンサーの
サンバを初めて見た「チビフリハゴー大会」
ウリヒャー、デージヤッサー、アキサミヨーであった。

バルバロスのその衣装は、使用後に高良幼稚園に寄贈。
なんとつい最近まで幼稚園のイベントで使用してたらしい。
さすが20年以上も使ったので先日ついに廃棄したんだと。
20年以上も使い続けるって凄いわ。
大事にすれば使えるってことですが、沖縄的感覚でいえば
ボロボロとか、汚いとか、揃ってないとか全然気にしない。
見た目より、いかに盛り上がっているかが一番大事。
那覇市内の幼稚園なのにスピリットはペロかモーホだ。

〈続く〉

*チビフリ=お尻をがんがんに振る。
*ハゴー=げぇえええ!
*ウリヒャー=ほらほら、うぉおお!
*デージヤッサー=凄いね、大変だね。
*アキサミヨー=何てことだ。







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Posted by BBB SAMBA OKINAWA at 13:58│Comments(0)体験談
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