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2012年01月25日

サンバの歴史−5/ブラジルでの奴隷の生活

2012年1月25日(水)

前回のサンバの歴史−4/ヘアスタイルは暗号だ(2)
http://wikipedisamba.ti-da.net/e3707742.html


ちょっと歴史から脱線して、アフリカン・ヘアスタイル特集を行いました。
相違工夫、意外性、美しさの追求は半端じゃありません。
そのあくなき探究心は、きっと音楽や信仰にも込められていると思います。

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【サンバの歴史−5/ブラジルでの奴隷の生活】

16〜18世紀。ブラジルのサトウキビ・プランテーション、港湾事業。
都市開発など、黒人奴隷は徹底的に働かせられますが、
15世紀の頃に比べたら、いくばくかの自由も得る事ができるよう
になってきている。しかし男性の鎖ははずされていない。

【1800年代初頭、リオで暮らす黒人奴隷の様子】

サンバの歴史−5/ブラジルでの奴隷の生活
町の中で友人に挨拶。
サンバの歴史−5/ブラジルでの奴隷の生活
仕事中に一休み。
サンバの歴史−5/ブラジルでの奴隷の生活
命令に背いたものは容赦なく見せしめの刑を受けていた。
サンバの歴史−5/ブラジルでの奴隷の生活
反抗的な態度は徹底的な虐待を受け。殺されること珍しくなかった。
サンバの歴史−5/ブラジルでの奴隷の生活
アフリカの民間療法での病気治療。角を使ったお灸など。

  *サンパウロの中心の東洋人街はその昔、奴隷市場であり、
   反抗的な奴隷の処刑所と奴隷の遺体捨て場の場所であった。
   現在でもその黒人奴隷の魂を祭る大変に小さな教会が
   Rua dos Estudantesぞいから少し入ったお店の奥にあるのだ。
   有名な黒人アーティストがろうそくを捧げてお祈りに来ることもある。

  *黒人奴隷の歴史と関係が深い、現在の東洋人街の地下鉄の
   広場には、サンパウロでも有数のウンバムダの専門店「7 Linha」
   がある。オリシャの儀式の道具や消耗品、衣装、アクセサリー、
   CD、DVD、書籍、ろうそく各種、願かけグッズなど何でも揃う。

1696年 ミナス州で金鉱発見。ゴールドラッシュの幕開け。 
奴隷は鉱山労働者としてどんどん送られ、内陸部の開発が進む。   
ミナス州ベロオリゾンチには「コンガード/Congado」
「モザンビーキ/Moçambique」
「ヘイザード/Reisado」
という芸能があります。
黒人奴隷の芸能であったコンガーダやモザンビーキなどは
後にサンバにも関係した芸能の一つとしてあげられています。
モザンビーキやヘイザードはコンガーダと関係している芸能です。

「コンガード/Congado」「コンガーダ/Congada」
架空のコンゴの王「Chico Rei」とアンゴラの女王「Rainha Ginga
を讃える芸能。1705年、André Joāo Antonil氏の記録に、
ミナスでカトリックの「聖ベネジット祭」で黒人奴隷が、
ノッサ・セニョーラ・ダ・ホザーリオ教会前に400名が集まり
太鼓を叩き、コンゴの王様の神話の行列を行いました。
コンガーダはミナス以外にサンパウロやリオ、ノルデスチにもあり、
地域によって使用する楽器や衣装、ダンスもそれぞれ異なる。
楽器はサンフォーナ(アコーディオン)、ザブンバ、カイシャ、
クイーカ、パンデイロ、ヘコヘコ、カバキーニョなど。
記載によっては「コンガーダ」とは「コンゴのダンス」とあるので、
芸能そのものの正式名称は「コンガード」だろう。

Congadohttp://pt.wikipedia.org/wiki/Congado

サンバの歴史−5/ブラジルでの奴隷の生活
コンガーダ/ミナス州、サンセバスチャン・ド・パライーゾ

映像http://culturacomarte.com.br/tag/congado/
 ミナスの太鼓として紹介、コンガーダやモザンビーキもあります。
映像http://www.youtube.com/watch?v=VAwEI2kVmqI&feature=related
 映像http://www.youtube.com/watch?v=KJ4c8rnMjWg&feature=related
 コンガーダの路上での演奏風景

「モザンビーキ/Moçambique」
モザンビーキは2種類あります。
モザンビーキ・ポルトゲイス/Moçambique Portugues」と
モザンビーキ・アフロ/Moçambique Afro
モザンビーキ・ポルトゲイスでは船乗りのような衣装。
隊列は2列。膝に鈴をつけている。2本の棒は剣の象徴。

サンバの歴史−5/ブラジルでの奴隷の生活
モザンビーキ・ポルトゲイス

サンバの歴史−5/ブラジルでの奴隷の生活
サンバの歴史−5/ブラジルでの奴隷の生活
サンバの歴史−5/ブラジルでの奴隷の生活
ミナス州のモザンビーキ・アフロ。
青は太鼓の守護神サン・ベネジットの色である。

モザンビーキ・アフロの特徴に、以下の楽器類を使用します。
サンバの歴史−5/ブラジルでの奴隷の生活
缶を使った「Gunga/グンガ」を足首に取り付ける。
足ガンザである。

他に丸い中華鍋かお菓子の缶のような楽器で
パダンゴミ/patangome
シタンゴミ/ xitangome
と呼ばれる金属で作ったシェケレのようなあります。
サンバの「ガンザ/Ganza」の原型。

サンバの歴史−5/ブラジルでの奴隷の生活
パタンゴミ/8分の6拍子で刻む(下の映像で演奏シーンをチェック!)

映像http://www.youtube.com/watch?v=NDJ0HXN4w6g&feature=related
 タイトルはミナスのコンガーダとあるが、これはモザンビーキ・アフロ。
 最初の方に中華鍋のような楽器がパタンゴミ。
映像http://www.youtube.com/watch?v=i8R3lEzsfrE&feature=related
 モザンビーキ・アフロ。素晴らしい内容です。
映像http://www.youtube.com/watch?v=TTmz1DJnlNg&feature=related
 ミナスの太鼓フェスのクリップ。あの人やあの人も出演してる、わかるかなぁ〜?

モザンビーキはブラジルでカトリックのお祭りに行われるようになり
ノッサ・セニョーラ・ダ・ホザーリオ/Nossa Senhola do Rosário」祭や
聖ベネジット/Sāo Benegito」祭で教会に演奏を奉納。
特に聖ベネジットは太鼓の守り神として黒人達に絶大な人気をえていた。

ノッサ・セニョーラ・ド・ホザーリオ/Nossa Senhola do Rosário
1208年に聖ドミンゴ・グスマン神父がマリア様から啓示を受ける。
(マリア様の死後も、世界中でその姿を見る人は多い)
その後、ムレットの戦いやレパントの戦い時でも、
マリア様からの啓示を受けた戦士がいると必ず勝利をしたことから、
1573年に当時のローマ法王のグレゴリオ8世により
「勝利の女神/Nossa senhora da Vitória」と命名。
後にローマ法王クレメンテ7世が、マリア様の別名「ロザリオのマリア」から
「Nossa Senhola do Rosário」と変更し現在にいたる。10月7日が記念日。
勝利の象徴から、黒人奴隷の守り神とされている。
子供を抱いたマリア様の像がシンボル。

   サンバの歴史−5/ブラジルでの奴隷の生活
   ノッサ・セニョーラ・ダ・ホザーリオ
     
聖ベネジット/Sāo Benegito
1524年イタリアのシシリア島で、貧しいエチオピア系の
黒人奴隷から生まれたベネジット。
18才になり、サン・フランシスコ・アシスの弟子として認められる。
1589年にイタリアのパルレモで死去するまで、
布教活動と教会の料理人として高い評価を得ていた。
黒人系の実在した聖人である。10月5日が記念日。
ブラジルでは黒人全体の守り神。太鼓の守護神でもある。

  サンバの歴史−5/ブラジルでの奴隷の生活
   サン・ベネジット

サン・ベネジットのブラジルでのイベント情報
http://www.selomundomelhor.org/fotos/festa-de-sao-benedito-aparecida-do-norte-sp/

サンバの歴史−5/ブラジルでの奴隷の生活
ノッサ・セニョーラ・ダ・ホザーリオのお祭り(1)
サンバの歴史−5/ブラジルでの奴隷の生活
ノッサ・セニョーラ・ダ・ホザーリオのお祭り(2)

ヘイザード/Reisado
ポルトガルから伝わるカトリックの宗教儀式を取り入れたブラジル民族芸能。
祈り=Reisa が語源。12月24日から1月6日の期間がヘイザードのお祭り期間。
キリストの誕生時に尋ねた東方の三賢者を表す「Dia de Reis」の期間とされている。

映像http://www.youtube.com/watch?v=tjHa0dErLJ4&feature=related
映像http://www.youtube.com/watch?v=mJntbUD09Po&feature=related

サンバの歴史−5/ブラジルでの奴隷の生活
東方からやって来た三賢者

*東方の三賢者(http://ja.wikipedia.org/wiki/東方の三博士)

類似した芸能のFolia de Reis/フォリーア・ジ・ヘイス
ここからきている。「愛、戦い、信仰心」がテーマである。
ペルナンブコ州のヘイザードが大変に有名。教会の形をした帽子はインパクト大。

映像http://www.youtube.com/watch?v=APrGS2Zc_9M&feature=related
映像http://www.youtube.com/watch?v=y_ExyvkdBHo&feature=related

16〜17世紀になるとポルトガル人を通じて、
ヨーロッパの仮面舞踏会の習慣がブラジルに伝わる。
奴隷達もこれをマネて独自でアレンジを加え楽しんだ。
この影響が残る最古の伝統芸能が、現在ブラジルの
セルジッペ州に残る「パラフーゾ/Parafusos」。
農場主が廃棄した女性のスカートを使って、
少年達がくるくる高速回転。
パラフーゾとはネジの意味。
カーニバルでのバイアーナのダンスの原型か。

サンバの歴史−5/ブラジルでの奴隷の生活
サンバの歴史−5/ブラジルでの奴隷の生活
パラフーゾのダンス

サンバの歴史−5/ブラジルでの奴隷の生活
1700年代、サルバドールでは、ビリンバウのないカポエイラの様子も
描かれている。絵をよくみたら右下にトロンコと呼ばれる木をくり抜いた、
片面革ヘッドの太鼓の上にまたがって演奏。
靴を履いている人はまだ一人もいない。
ジョーゴのすぐそばで鍋で煮炊きをしている女性もいるが、
カポエイラのすぐそばで調理は危ないぞ!。

サンバの歴史−5/ブラジルでの奴隷の生活
休日では奴隷は完全に解放されている。
仲間が集まって「バトゥッキ/Batuque」の
リズムとダンスを楽しんだという。
サンバの原型とも言われるもの。輪になって手拍子と歌と太鼓で
ペアでダンスを掛け合い楽しんだという。

バトゥッキとは、アフリカのギニアやナイジェリアの芸能から
オリシャの信仰を土台にブラジルではジェジェー、ナゴー、
イジェシャ系もバトゥッキから生まれたものだ。
現在、サンパウロの内陸部や南部のリオ・グランデ・ド・ノルテ
で継承されている。バトゥッキのオリシャはBará ( Exú )をトップに
Ogum, Oiá-Iansã, Xangô, Ibeji, Odé, Otim, Oba, Osanha, Xapanã,
Oxum, Iemanjá, Oxalá e Orunmilá 。
カンドンブレのオリシャとは少し違うのが特徴。
ウルグアイやアルゼンチンでも信仰されている。
(この詳細は長くなりますので次回!)

バトゥッキhttp://pt.wikipedia.org/wiki/Batuque

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オススメ書籍

サンバの歴史−5/ブラジルでの奴隷の生活
●Rio de Janeiro Cidade mestiça
著者:Jean Baptiste Debret
出版社:COMPANHIA DAS LEIRAS
ISBN 85-359-0168-X
1816年の頃のリオで暮らす黒人奴隷の様子を描いた絵画集。
 



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Posted by BBB SAMBA OKINAWA at 20:45│Comments(0)歴史
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