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2012年01月28日

サンバの歴史−7/各地の芸能とリオの誕生

2012年1月27日(金)

前回のサンバの歴史−6/奴隷の反乱
http://wikipedisamba.ti-da.net/e3710304.html

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【サンバの歴史−7/各地の芸能とリオの誕生】

1723年 ポルトガルのマデイラ諸島や、カーボ・ベルデからの
移民が新しいフォリーア(カーニバルの前身)として「*エントルーダ」を持ち込む。
レモン水をかけあうドンチャン騒ぎ。深夜の22時から早朝の4時の騒ぎは禁止されていた。
ということは禁止条例が出るほど朝までドンチャン騒ぎをしていたということである。
水かけ祭りはポルトガルだけではなく世界中で行っている。
タイの水掛け祭りも有名である。

*「オ・エントルード・ファミリアー/O Entrudo Familiar
家族や親族間の中での水かけドンチャン騒ぎ。
大量のレモン水を用意したのは使用人の奴隷達である。

*「オ・エントルード・ポピュラー/O Entrudo Popular
街の中での水かけドンチャン騒ぎ。
家の2階の窓から玄関から、そこら中で通行人や
ご近所で水かけを行っていた。

*「ア・バターリャ・コントラ・オ・エントルード/A batalha contra o Entrudo
街中の水かけが、チームに分かれての攻防戦となる。
大人数で作戦を立てて水も大量に用意できるだめ
より戦略や戦術を楽しめる。

サンバの歴史−7/各地の芸能とリオの誕生
家の中でのぐっちゃんちゃんな様子。
楽しそうともいえるが、後片付けは奴隷の仕事。

カレット/Careto
この頃に上流階級の舞踏会ではない仮面のお祭り「カレット」が登場。
ポルトガルの北部の芸能をルーツとする。
動物の皮や木彫り、ブリキ、布や毛糸で制作。
カレットはブラジル全土の芸能に様々に形を変えて登場する。
ここに紹介するのはごく一部である。
*マスカラ/Máscaeaとは類似語。

サンバの歴史−7/各地の芸能とリオの誕生
カレットの仮面の皆さん。顔はアフリカの仮面のようだ。

サンバの歴史−7/各地の芸能とリオの誕生
*マラニョン州のカズンバー=森の妖怪、森の聖人の仮面

映像http://www.youtube.com/watch?v=6TJOkeDBVB8
マラニョン州のバイシャーダ・カズンバーのボイ。

サンバの歴史−7/各地の芸能とリオの誕生
*ゴイアス州のフェスタ・ジビーノ・マスカラードの仮面

サンバの歴史−7/各地の芸能とリオの誕生
*バイーア州のザンビアプンガの仮面

映像(http://www.youtube.com/watch?v=-TQZ6kLKI28&feature=related
路上でザンビアプンガ炸裂
映像http://www.youtube.com/watch?v=VflFfaGulK0&feature=related
カリーニョス・ブラウンとザンビアプンガ

サンバの歴史−7/各地の芸能とリオの誕生
*ペルナンブコ州のベゼッホ地区のパパングスの仮面。

1725年 ゴールドラッシュのミナス州とリオ州を結ぶ道路が完成。
それまでサンパウロのサントス港から出荷されていた物資は
リオから出荷が可能になる、それによってリオの人口増加、
経済成長の発展となる。

1763年 バイーアからリオへ首都移動。
リオは1502年1月にポルトガル人のガスパール・ジ・レモスが
グァナバラ湾から初上陸。後に1555年11月1日にフランス人の
ニコラス・デュランドがし、フランス地区宣言を行っていたが、
後にポン・ジ・アスーカル方面からポルトガル勢が上陸。
1565年3月1日ににポルトガルがフランスとの戦いに勝利し、
エスタシオ・ジ・サの地区で勝利宣言を行う。
(*エスコーラのエスタシオ・ジ・サの名称は、こういった
歴史を背負っていたのであった)
後にポルトガルが初上陸した1月から「1月の川」の意味で
リオ・デ・ジャネイロと命名。グァナバラ湾を川と勘違いして
川とつけてしまった。
リオは1763年〜1960年までブラジルの首都となる。

サンバの歴史−7/各地の芸能とリオの誕生
1555年フランスが初上陸し制作したグァナバラ湾の地図

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1820〜1825年当時のリオ

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1889年のリオ

リオの詳細
http://ja.wikipedia.org/wiki/リオデジャネイロ)
http://pt.wikipedia.org/wiki/Rio_de_Janeiro_(cidade)

1822年 9月7日皇帝のペードロ1世(在位1823-1831)が即位する形でブラジル帝国がポルトガルから独立を宣言。「イピランガの叫び」がシンボルである。
検索したら沢山出て来るので、そちらを参照下さい。

イピランガの叫びhttp://www.geocities.jp/emiliasobo/dokuritukinenn.htm

1872年 リオの港湾労働者や都市整備のために、バイーアからリオに
26,592名の黒人奴隷が強制移住。住居先が交通が不便な小高い丘の
モーホである。リオの労働者として強制移住を押し進めたのは
当時のリオ市長のペレイラ・パッソスである。
奴隷の解放が1888年なのでこの年代ではまだ解放されていない。
当時の黒人達には人生の選択の自由も意見の自由もなかった。

サンバの歴史−7/各地の芸能とリオの誕生
リオ市長のペレイラ.パッソス
サンバの歴史−7/各地の芸能とリオの誕生
モーホでの最初の集合住宅
サンバの歴史−7/各地の芸能とリオの誕生
モーホの住人の黒人家族
サンバの歴史−7/各地の芸能とリオの誕生
リオの急速に発展する都市整備(1906年)
サンバの歴史−7/各地の芸能とリオの誕生
1928年のモーホのファベーラ風景
(*As Escolas de Samba Rio de Janeiroより)





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Posted by BBB SAMBA OKINAWA at 02:47│Comments(0)歴史
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