2012年04月13日
サンバの歴史−17/カーニバルと広告 (2)
翁長巳酉HP http://www.deepbrabra.biz/
DEEP BRASIL 通販サイト http://www.deepbrabra.biz/shop/
沖縄サンバBBB ブログ http://sambabbb.ti-da.net/
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*専門用語、歴史、リオ、サンパウロなどカテゴリーで分類。
気分で勝手気ままに書いているので、
初めての方はカテゴリーから選択してみるのも手です。
「専門用語辞典」「歴史」を最初から、ちまちまと用語を
チェックすることをオススメします。
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2012年4月13日(金)
前回の サンバの歴史−16/ カーニバルと広告(1)
(http://wikipedisamba.ti-da.net/e3801637.html)
1900年前後のリオのカーニバルで大きな勢力を持っていた
「Clube Fenianos」「Clube Democrático」「Tenetes do Diabo」
はお互いに優秀なカルナヴァレスコを抱え競い合っていた。
これらは当然白人の上流階級や経済界のメンバーが幹部の
チームだが、政府の方針や風習の一部の反感も持っていたようだ。
記録によると1864年Tenenes do Diaboはサロンではなく、
路上のカーニバルで12名の黒人奴隷を購入し解放。
白人社会のカーニバルの中で、その素晴らしいダンスは
衝撃的な出来事であった。一部の白人達は彼らの能力を
カーニバルで利用できることをすでに予想していたのである。
その様子が当時の画家のQuintino Bocaiúva、Joāo Clapp、
José do Patrocinio、Ferreira Araújo らによって描かれている。
Fenianosは直接的な表現は避けて
黒い馬を数頭用意し「Cavado Souto/馬を自由にしろ!」
書いたプラカードを下げてアレゴリアを引かせた。
イギリスから要求されていたブラジルの奴隷解放は
ブラジル国内においても、都市部では解放に同意と支援。
農村部では強固な反対を表明。しかしすでにカーニバルに
白人達だけでは物足りず、黒人達はカーニバルには
なくてはならない存在であった。
1888年5月13日に奴隷解放、北米南米の中で最後の解放となる。
解放の役割のほんの少し貢献したこれらの3つのクラブは
後に130周年記念イベントも行われているので、
今もやっているってことですな。凄いですわ。
またごご長寿チームで有名なのは、1918年から続く
マルシャのチーム。「Cordāo do Bola Preta」。
リオのカーニバルで絶対に欠かせない存在
今も活動しています。近々掲載します。

「Revista Radio/ラジオ雑誌」当時の音楽紹介雑誌である。
サンバの新曲が紹介され、レコード会社の広告が掲載。
音楽イベントの紹介かラ、カーニバルの主催なども行った。

「Manchete」今でいう写真グラフ誌。
毎年カーニバル後の特集号が話題に。この表紙にはサルゲイロの
パシスタが「Rainha Tiva de Vila Rica」でリオ市から
受賞を受けたもの。
この雑誌は後に経営不信で出版社が売却され、ロゴのデザインが
何度か変わったが2000年のカーニバル特集号で最後?

1921年の「Clube Tenentes do Diabo」の新曲の紹介
なんとDongaの曲!この広告にもわざわざ
「Pelo TelefoneのDonga」 とダメ押し強調。

リオのカーニバルの音楽は全盛を迎える。
彼のサンバ、マシシはリオ市民にこよなく愛された。

「Que Vale・・・/金だけじゃモテない」Sinhôの作品
そう金だけじゃイカんのだ。エレガントな立ち振る舞いと服装。
ダンスが上手くて粋な会話もできないとな。モテないカリオカが
この曲を聞いて「うっく〜」となっただろう。

Sinhôの作品。タンゴ・カルナヴァレスコとある。
すみません。経緯と詳細がまだよくわからないです。

1923年でのイベントのご案内。
Sinhôの曲を全編アピール。

Sinhôの曲でサンバ・カリオカ「Tezourinha/はさみ」
ガミガミうるさい女房に・・・ちっくしょ〜・・・という曲?
これは世の男性諸君に絶大な支持されちゃいますよねぇ。

Sinhôのサンバ。「Volta Palhoça/戻ってきた道化師」
Penhaで行われるイベントの案内。
デカダンスな雰囲気の写真が素晴らしい。
イベントの曲目紹介が興味深い。Cetereté、Samba、
Choro modinha、Samba-Choro、Marcha-Chula、Cançao

ピシンギーニャのグループ「Os 8 Batutas」
Fenianosでのイベント案内

1926年すでに大人気だった「Os 8 Batutas」
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2012年4月13日(金)
前回の サンバの歴史−16/ カーニバルと広告(1)
(http://wikipedisamba.ti-da.net/e3801637.html)
1900年前後のリオのカーニバルで大きな勢力を持っていた
「Clube Fenianos」「Clube Democrático」「Tenetes do Diabo」
はお互いに優秀なカルナヴァレスコを抱え競い合っていた。
これらは当然白人の上流階級や経済界のメンバーが幹部の
チームだが、政府の方針や風習の一部の反感も持っていたようだ。
記録によると1864年Tenenes do Diaboはサロンではなく、
路上のカーニバルで12名の黒人奴隷を購入し解放。
白人社会のカーニバルの中で、その素晴らしいダンスは
衝撃的な出来事であった。一部の白人達は彼らの能力を
カーニバルで利用できることをすでに予想していたのである。
その様子が当時の画家のQuintino Bocaiúva、Joāo Clapp、
José do Patrocinio、Ferreira Araújo らによって描かれている。
Fenianosは直接的な表現は避けて
黒い馬を数頭用意し「Cavado Souto/馬を自由にしろ!」
書いたプラカードを下げてアレゴリアを引かせた。
イギリスから要求されていたブラジルの奴隷解放は
ブラジル国内においても、都市部では解放に同意と支援。
農村部では強固な反対を表明。しかしすでにカーニバルに
白人達だけでは物足りず、黒人達はカーニバルには
なくてはならない存在であった。
1888年5月13日に奴隷解放、北米南米の中で最後の解放となる。
解放の役割のほんの少し貢献したこれらの3つのクラブは
後に130周年記念イベントも行われているので、
今もやっているってことですな。凄いですわ。
またごご長寿チームで有名なのは、1918年から続く
マルシャのチーム。「Cordāo do Bola Preta」。
リオのカーニバルで絶対に欠かせない存在
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「Revista Radio/ラジオ雑誌」当時の音楽紹介雑誌である。
サンバの新曲が紹介され、レコード会社の広告が掲載。
音楽イベントの紹介かラ、カーニバルの主催なども行った。

「Manchete」今でいう写真グラフ誌。
毎年カーニバル後の特集号が話題に。この表紙にはサルゲイロの
パシスタが「Rainha Tiva de Vila Rica」でリオ市から
受賞を受けたもの。
この雑誌は後に経営不信で出版社が売却され、ロゴのデザインが
何度か変わったが2000年のカーニバル特集号で最後?

1921年の「Clube Tenentes do Diabo」の新曲の紹介
なんとDongaの曲!この広告にもわざわざ
「Pelo TelefoneのDonga」 とダメ押し強調。

リオのカーニバルの音楽は
彼のサンバ、マシシはリオ市民にこよなく愛された。

「Que Vale・・・/金だけじゃモテない」Sinhôの作品
そう金だけじゃイカんのだ。エレガントな立ち振る舞いと服装。
ダンスが上手くて粋な会話もできないとな。モテないカリオカが
この曲を聞いて「うっく〜」となっただろう。

Sinhôの作品。タンゴ・カルナヴァレスコとある。
すみません。経緯と詳細がまだよくわからないです。

1923年でのイベントのご案内。
Sinhôの曲を全編アピール。

Sinhôの曲でサンバ・カリオカ「Tezourinha/はさみ」
ガミガミうるさい女房に・・・ちっくしょ〜・・・という曲?
これは世の男性諸君に絶大な支持されちゃいますよねぇ。

Sinhôのサンバ。「Volta Palhoça/戻ってきた道化師」
Penhaで行われるイベントの案内。
デカダンスな雰囲気の写真が素晴らしい。
イベントの曲目紹介が興味深い。Cetereté、Samba、
Choro modinha、Samba-Choro、Marcha-Chula、Cançao

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Fenianosでのイベント案内

1926年すでに大人気だった「Os 8 Batutas」
Posted by BBB SAMBA OKINAWA at 00:11│Comments(0)
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