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2012年03月25日

2012年 リオのカーニバル結果発表

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2012年3月25日(日)

前回の ササンパウロのカーニバルの危惧
http://wikipedisamba.ti-da.net/e3775820.html

専門用語、歴史、リオ、サンパウロなどカテゴリーで分類。
気分で勝手気ままに書いているので、
初めての方はカテゴリーから選択してみるのも手です。
「専門用語辞典」は最初から、ちまちまと用語を
チェックすることをオススメします。


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とっくに皆様ご存知だとは思いますが、
もしかしてまだわからない方のために順位掲載します。

1、Unidos da Tijuca 299,9
2、Salgueiro 299,7
3、Vila Isabel 299,5
4、Beija-Flor 298,9
5、Grande Rio 298,3
6、Portela 297,2
7、Mangueira 297
8、Uniāo da Ilha 296,2
9、Mocidade 295,8
10、Imperatriz 295
11、Sāo Clemente 294,7
12、Porto da Pedra 291,7
13、Renascer de Jacarepaguá 290,2

リオの結果発表詳細
http://pt.wikipedia.org/wiki/Anexo:Resultados_do_Carnaval_do_Rio_de_Janeiro_em_2012


12位、13位が下のカテゴリーの「Acesso A」に落ちて、
Acesso Aから「Inocentes de Belford Roxo」がエスペシャルへ。
なんと、これまでエスペシャルの常連だった
ViradouroやEstácio de Sá、Império Serranoは上がれませんでした。

今年は去年の12月に亡くなった著名なカルナバレスコの
Joāozinho Trintaを記念して追悼するアレゴリアを出している
チームが沢山いました。この有名なカルナバレスコの偉業を
まだ知らない方も多いと思うので少し彼を紹介したいと思います。

●Joãozinho Trinta/ジョアンジーニョ・トリンタ

2012年 リオのカーニバル結果発表

1933年11月23日マラニョン生まれ、本名João Clemente Jorge Trinta
マラニョンの貧しい家に生まれ、絵が大好きでおもちゃ工場で働いていた。
1951年にリオに移住。そもそも彼は美術家である。
その頃はリオで「アイーダ」など有名な演劇の舞台美術を数々手がけている。
ブラジルでは舞台美術家の多くは一生に一度、カーニバルのエスコーラの
美術を手がけること「カルナバレスコ」が夢である。
1973年サルゲイロで初のカルナバレスコデビュー(3位)
1974、75年にはサルゲイロを優勝させており、1976年〜1992年までBeija-Flor
の顔と呼ばれる。カルナバレスコの名を世間に知らしめた事件を起こしたのも彼だ。

2012年 リオのカーニバル結果発表

1989年カーニバル史上。カトリックとサンバチームの対立事件が起きた。
Beija-Florのアレゴリアにキリスト像の使用をカトリックが使用禁止の通達。
裁判に発展し裁判所が使用禁止の決定を下したのだ。
ジョアオンジーニョはカトリックとの裁判に負け、使用禁止となった
キリスト像にはその形がわかるよう、わざと目立つよう黒い布をかけ
そこに書いたメッセージは「私達を見る事も禁止」と書いたのだ。
その痛烈に反骨精神が溢れるメッセージは大きな話題となった。

今では当たり前となったチームのハイーニャやアレゴリアの上に
テレビの女優やモデル、有名人などを起用したのも彼が最初である。
またViradouloで真っ黒のアレゴリア、真っ白のアレゴリアを登場させた。
カーニバルといえば色彩あふれる色の洪水の中、あえて単色で勝負。
強烈なインパクトを与え観客を驚かした。

2004年に脳溢血で半身不随となるが、それでもカルナバレスコの
仕事は生き甲斐であると続けた。のち車椅子になっても仕事は
止めなかった。「私は仕事中毒なんだよ。仕事が大好きで仕事が趣味。
仕事が人生で、仕事場にいるのが一番幸せなんだ」と語っている。
デザインに必要な右腕が動かなくなってしまうが、車椅子で仕事場に
通い指揮を取り続けた。車椅子だが元気な姿はサンバファンに
大きな希望を与えた。

2012年 リオのカーニバル結果発表
車椅子でサプカイで姿を見せた。
2012年 リオのカーニバル結果発表
アレゴリアの上に登場し喝采を浴びる。

2005年のVila Isabelが最後の仕事となる。

最後は生まれ故郷のマラニョン州サンルイス市に戻り、
療養生活を送っていたが、2011年12月17日に78歳
という若さで亡くなった。
常に革新的で冒険を行い、反骨精神とユーモア
温かい人柄と仕事熱心な姿は、エスコーラを超えて
ブラジル人から大きな尊敬を集めた偉大な人である。

*2005年にエスペシャルチームのアレゴリア制作ができる巨大な工房
を集合させた「Cidade do Samba 」が完成。
観光事業とも結びつき、観光客がカーニバル時期以外でも
サンバの醍醐味を体感できる施設として話題になった(去年火事に)
亡くなった2011年12月にCidade de Sambaの名称にJoãozinho Trinta
が追加され正式名称が「Cidade do Samba Joãozinho Trinta」になる。
カルバヴァレスコとして美術や演出を通して、リオのカーニバルに
大きな影響を与えた偉大な人である。

今年のリオでは彼の追悼アレゴリアが数多く出た。
2012年 リオのカーニバル結果発表
2012年 リオのカーニバル結果発表
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Wiki(ポ語)http://pt.wikipedia.org/wiki/Joãosinho_Trinta



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Posted by BBB SAMBA OKINAWA at 01:55│Comments(0)リオ
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