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2012年01月30日

サンバの歴史−8/アンゴラの大きな役割

2012年1月30日(月)

前回の  2012年カーニバル情報−1
http://wikipedisamba.ti-da.net/e3711614.html
前々回  サンバの歴史−7/各地の芸能とリオの誕生
http://wikipedisamba.ti-da.net/e3711575.html

リオやサンパウロのサンバ協会のHPは新しい情報が
UPされていなかったので、新しい情報が入り次第UPします。
サンバの歴史篇、続き。
今回はサンバを初め、ブラジルの芸能文化に大きな影響を
与えたアンゴラ(コンゴ王国)を掘り下げます。

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【サンバの歴史−8/アンゴラの大きな役割】


アンゴラ共和国/República de Angola
国土面積は124万6700平方キロメートルで、ニジェールに次いで世界で23番目。
また日本の約3.3倍の大きさ。


アフリカ地図

ーアンゴラはブラジルと同じ旧ポルトガル植民地です。
国名はかつてこの地を支配していた、
ンドンゴ王国の王の称号ンゴラに由来。
バントゥー語系のアフリカ人の住む地域で、
この言語の範囲は、現在のカメルーンから中央アフリカと
東アフリカを横切り、南アフリカまでのブラックアフリカに分布する
400以上の民族(140 - 600[1]以上の言語)に対する一般的分類
となっています。
ー14世紀にアンゴラ北部に、バントゥー語系のコンゴ人による
コンゴ王国が建国。このコンゴ王国とは現在のアンゴラ北西部
のザイーレ州に属します。
 

1648年のアフリカの地図。ポルトガル人のヴァスコ・ダ・ガマが
インド洋航路を発見した150年後に制作。

 *バントゥー語http://ja.wikipedia.org/wiki/バントゥー語群)
  (http://www.inzotumbansi.org/malunda/a-historia-do-povo-bantu

 *アンゴラhttp://ja.wikipedia.org/wiki/アンゴラ)

ー14世紀当時はアンゴラという国名ではなく、王様が国土を統治
するコンゴ王国など、いくつかの王国が混在する地帯でした。
1485年にコンゴ王ンジンガ・ンクウとの間に両国の対等な立場で
コンゴ王国とポルトガル王国の国交樹立成立。
コンゴ王国はポルトガルの文化やカトリックを積極的に受け入れて
首都名のンバンザ・コンゴをポルトガル語のサン・サルヴァドールと
改名。ポルトガルは積極的に友好的な態度だったコンゴ王国からでは
なく、南部のアンゴラ地域からどしどし奴隷狩りを始め、
以降ブラジルやウルグアイ、アルゼンチン、キューバなど南米や
西インド諸島への黒人奴隷供給の代表地となっていきました。

ー1617年に奴隷積み出し中継地の*ベンゲラが建設されると奴隷貿易は
さらに拡大。1576年から1836年までの間に、300万人(〜500万人の
説も)の奴隷がアンゴラからラテンアメリカに連行。

 *ピシンギーニャの曲の歌詞に出て来る「ベンゲレ」は
 このベンゲラからきている。

 *アンゴラからブラジルに送られた黒人奴隷は、次々と脱走。
 ブラジル各地にアンゴラ・ジャンガ(小アンゴラ)と呼ばれる
 キロンボ(脱走奴隷集落)を築いた。

 *ブラジルの各地に伝わる伝統芸能の「コンガーダ」は、
 この昔アンゴラにあったコンゴ王国の名称から来ています。

ーポルトガルが最初にコンゴ王国に見せた友好的態度は仮の姿である。
ベンゲレなどの奴隷狩りの中心地であったコンゴ王国とは別の王国
ンドンゴ王国マタンバ王国は、当然ポルトガルに対して激しい
抵抗戦を行う。
ー1623年にアンゴラ南部のンドンゴ王国やマタンバ王国を統括し
権力を握ったンドンゴ王国の*ンジンガ女王は、一時はポルトガルと
戦争状態にあったオランダとも同盟を結びポルトガルと徹底抗戦。
それから数十年に渡って、姉妹と反ポルトガル戦争を続けた戦う女王である。
1657年、イタリアからの伝道師のグループがンドンゴ王国を訪問した
さいにンジンガ女王はカトリックの洗礼を受ける。
カトリック名はDona Ana de Sousa
ンジンガ女王は1657年76歳で死去。あの時代では大変に高齢である。
ジンガ女王の死を伝えられたブラジルでは、奴隷の騒動を恐れて
軍警察の配備を行ったという記録もある。


ンジンガ/Nzinga Mbandi Ngola(1587〜1663)
確認されているンジンガ女王の様々な名称は: Rainha Nzinga, Nzinga I,
Rainha Nzinga Mdongo, Nzinga Mbandi, Nzinga Mbande, Jinga, Singa,
Zhinga, Ginga, Ana Nzinga, Ngola Nzinga, Nzinga de Matamba,
Rainha Nzingha de Ndongo, Ann Nzingha, Nxingha,
Mbande Ana Nzingha e Ann Nzingha.

ーしかし1648年、ついにポルトガルに征服されてしまう。
1657年ンジンガ女王はポルトガルと平和条約を結ぶ。
ンジンガ女王を見下していたポルトガル人は、条約締結の座に
女王のために椅子を用意していなかった。
女王は側近を椅子にして対等の立場での交渉を行ったという。
ンドンゴ王国はポルトガル人に敗れたが、
尊厳と対等を守り通したンジンガ女王。
今日も多くのアンゴラ人とアフリカ系ブラジル人の
抵抗の象徴となった実在の人物である。



アンゴラのルアンダ市内に立像するンジンガ女王の像。

*ポルトガルとの和平交渉において、アフリカ側が椅子に座ることに
こだわった理由に、支配者は常に椅子に座り、立っている使用人(奴隷)
に用事を言いつける関係の象徴であることから、女王は立ったままで
平和条約を受け入れるわけにはいかない。


ポルトガルと平和条約の交渉を行うンジンガ女王(左)

 *このンジンガ女王は、現在のサンバカーニバルのシンボルである
 ヘイ・モモ(モモ王様)の伴侶のハイーニャ(ンジンガ女王)である。
 ハイーニャ・ジンガは単なるモモ王様のお飾りの美女ではない。
 ジンガの意味は、抵抗のシンボルであり力強く大変に奥が深い

 *Rainha Nginga http://pt.wikipedia.org/wiki/Ana_de_Sousa
 (http://mnoticias.8m.com/zinga_cserrano.htm


●Ginga Rainha de Angola
出版社:Oficina do Livro
著者:Manuel Ricardo Miranda,
アンゴラの女王ンジンガの物語。

アンゴラは1961年からポルトガルからの独立戦争を戦い、
1975年に独立を達成したが、独立後も1975年から2002年
に内戦が完全に終結するまで紛争が続いていた。
この期間に(1965年〜)アフリカ各地を歴訪していた
チェ・ゲバラもアンゴラへ入り、コンゴでは一時的に闘争
(コンゴ動乱)にも参加していた。

 *紛争中でもアンゴラの首都ルアンダでは、ブラジルの
 サンバのマルチーニョ・ダ・ビオラやベッチ・カルバーリョ
 MPBのジルベルト・ジルやアメリカのソウルの大物アーティストの
 ポインター・シスターズなど多くの音楽公演が行われていた。

アンゴラhttp://ja.wikipedia.org/wiki/アンゴラ)
バントゥー語系http://ja.wikipedia.org/wiki/バントゥー系民族)

ーこのDVDの制作はアフリカの投資銀行(Banco Africano de Investimentos)
やテレビ局のTVSATなど数社が制作助成を行ってDVDの商品化が実現。
初めて制作された、アンゴラのルーツミュージックの紹介の映像。

アンゴラではキンブンド系の一般大衆に密着している音楽を、
「センバ」と呼んでいます

都市部のエレクトリックな楽器を使った旋律のモダンな「センバ」
歌詞やメッセージを重視した、若者向けのラップのような「センバ」
年配者の人生の渋みと哀しみととうとうと歌う「センバ」
農村部のアフリカの激しいダンスと太鼓の掛け合いの「せンバ」
これらの音楽をアンゴラでは「センバ」と呼んでいます。
今流行のヒットチャートのセンバ。懐メロのセンバ。地方の伝統
芸能のセンバです。サンバの語源は諸説ありますが、アンゴラの
一般芸能の総称を「センバ/SEMBA」ということから、この芸能
の名称がブラジルの「サンバ」の名称に何らかの関係があるので
はないかとされており、アンゴラでは地域によって
ゼンバ/Zemba」「ザンバ/Zamba」という言い方もあるようです。

 このDVDの中のライブ映像は2003年1月28日、29日にアンゴラの
ラジオ局(Radio Nacional de Angola)の公開スタジオライブの映像を中心に、
ルアンダのストリートシーンや、*クドゥーロも収録。
スタジオライブの中のビリンバウの持ち手の細工が絶妙。
あれなら長時間持っても疲れないだろう。
他にアンゴラの市内の風景や部族の伝統芸能まで、新旧のアンゴラの
音楽シーンを、国際的に成功を納めたアンゴラ人のミュージシャンの
パウロ・フローレス総監督のアンゴラ側の制作に
よってアンゴラ経由でブラジルから出たDVDである。

 *クドゥーロ/Kuduro =アンゴラで生まれたクラブミュージック


「Quintal do Semba」アンゴラの音楽シーンを紹介した珍しいDVD

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 まったく音楽とは関係ありませんがアンゴラつながりで「アンゴラウサギ」


きゃん可愛いん

イングリッシュアンゴラ、たまらんですね。

アンゴラうさぎ (主な品種:イングリッシュアンゴラ、フレンチアンゴラ、
サテンアンゴラ、ジャイアントアンゴラ)
本来は被毛を利用するために生み出された長毛種。
非常におとなしい性格で我慢強く、人形のように動かない個体が多い。
日本アンゴラ種は日本で独自に改良された品種である。
(独)家畜改良センター茨城牧場・長野支場において家畜遺伝資源の
維持を目的として飼育(生体維持)されていたが、平成18年度から
凍結受精卵新規導入による血統維持となり、
現在、生体の飼育はされていない。
しかし、その血統は、神戸市立六甲山牧場に受け継がれており、
生体を見ることが可能である。販売も行われています。




  


Posted by BBB SAMBA OKINAWA at 13:43Comments(0)歴史

2012年01月28日

2012年カーニバル情報−1

2012年1月28日(土)

来月からカーニバルなので、今年のカーニバル情報を紹介します。

その前に、リオとサンパウロのグルーポ・エスペシャルの
エスコーラを統括しているのは以下の組織。

リオのサンバ協会/LIESA/リエザ
http://liesa.globo.com/

【2012年のリオのグルーポ・エスペシャルの「エスコーラ】

マンゲイラ/Mangueira
http://www.mangueira.com.br/)

サルゲイロ/Salgueiro
http://www.salgueiro.com.br/S2008/Index.asp

ベイジャ・フロール/Beija-flor
http://beija-flor.com.br/2010/por/index.html

インペラトリス/Imperatriz
http://imperatrizleopoldinense.com.br/

モシダージ・インデペンデンチ・パドレ・ミゲール
Mocidade Independente Padre Miguel
(オフィシャルサイトないのか?)

グランジ・リオ/Grande Rio
http://www.academicosdogranderio.com.br/

ポルテイラ/Portela
http://gresportela.com.br/carnaval2010/info2010.php

ウニァオン・ダ・イーリャ/União da Ilha
http://www.gresuniaodailha.com.br/

ポルト・ダ・ペドラ/Porto da Pedra
http://www.unidosdoportodapedra.com/site/

ヴィラ・イザベル/Vila Isabel
http://www.gresunidosdevilaisabel.com.br/

ウニードス・ダ・チジュカ/Unidos da Tijuca
http://unidosdatijuca.com.br/

サォン・クレメンチ/Sāo Clemente
(オフィシャルサイトないのか?)

ヘナッセンス・ジ・ジャカレパグア/Renascer de Jacarepaguá
http://bateriarenascer.blogspot.com/)

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サンパウロのサンバ協会は2008年に分裂して
二つのサンバ協会が存続しています。

LIGAhttp://www.ligasp.com.br/)/リガ
SUPER-LIGA (HPなし)/スーペル・リガ

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【リオ】

●カーニバル本番の順番は去年の6月6日にシダージ・ド・サンバ会場で
抽選が行われ順番が決定。(*どこまで本当の抽選か知らないけど・・・)


抽選風景

●2011年10月31日にリオのRei MomoとRainhaが決定。
Rei Mono、Milton Rodriguesは4度目の当選。
賞金1位は20,000レアル。2位3,500レアル、3位1,500レアル。
RainhaはサルゲイロのパシスタのCristiane de Souza Alves,
PrincesasはLetícia Martins Guimarães と
Suzan Maria Souza Gonçalvesの2名。


Rei MomoとRainhaやPrincesasの皆様

1月19日は「パシスタの日/O Dia das Passistas das Escolas de Samba」
のイベントがパドレ・モゲール会議場ホールで開催されました。
参加したトップクラスのパシスタは
Valcir Pelé (Portela), Índio (Mangueira), Vitamina (Salgueiro), Pedrinho (Mocidade),
Edson (Vila), Machine e Celinhoのショー。パゴージのPagode do Baldeのショーや
エスコーラのEstácio de Sáによるマランドロとムラータのショーが行われた。
何と、すべて入場無料! 来年行かなきゃ!
なお、この「パシスタの日」はリオの法律で制定されたもの。

A data em homenagem ao Dia das Passistas das Escolas de Samba (19 de janeiro)
integra o Calendário Oficial do Município do Rio de Janeiro e foi criada
pela Lei nº. 4462/2007, de autoria do então vereador Marcelino D’Almeida.


パシスタの皆さん

●カーニバル会場のサプカイで「エンサイオ・テクニコ」という実地練習を行います。
8万人の人手で盛り上がるだろうとのこと。

1月28日(土)インペラトリス
1月29日(日)ウニァオン・ダ・イーリャ、サルゲイロ。


去年の「エンサイオ・テクニコ」風景

●2月6日(月)O Botequim da Cidade do Sambaでスペシャルショー。
出演者はO Grupo Revelação, Neguinho da Beija-Flor e Reinaldo,
Príncipe do Pagode。
Cidade do Sambaから無料送迎バスが出ているそうです。

Cidade do Samba (http://cidadedosambarj.globo.com/2009/por/abertura.html)

その他、エスコーラによるショーのスケジュールは以下。
ショーの時間や詳細は出ていません。

1月27日(金) Mangueira
2月 2日(木) Vila Isavel
2月 3日(金) Salgueiro
2月 9日(木) Imperatriz

場所:Cidade do Samba
住所;Rua Rivadávia Correa, 60 - Gamboa - Rio de Janeiro, RJ

●リオ・ツールが第36回Foliāoのコンクールの参加者受付中。
「Foliāo」とは、カーニバル大好きな有象無象が大集合した
ぐっちゃんちゃんパレード。参加無料。
カテゴリーによるソロのコンクールもあります。
5歳以上のお子様の部、子供〜未成年の部、大人の部。
またグループによる(オバカ)衣装と・・Clóvis賞って何だ?

期日:2月19、20、21日
時間:13時〜16時
場所:シネランジアの前

子供の部の優勝者にはプレステーション2。
2位にはデジカメ。3位にはMP4。
大人の優勝者には1,100レアル。2位に800レアル。3位に600レアル。
オバカ衣装優勝グループには2,000レアル、2位に1,500レアル。
3位に1,300レアル。Clóvisの優勝者には2,300レアル。
2位は1,800レアル、3位に1,600レアルだそうである。  


Posted by BBB SAMBA OKINAWA at 06:06Comments(0)リオ

2012年01月28日

サンバの歴史−7/各地の芸能とリオの誕生

2012年1月27日(金)

前回のサンバの歴史−6/奴隷の反乱
http://wikipedisamba.ti-da.net/e3710304.html

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【サンバの歴史−7/各地の芸能とリオの誕生】

1723年 ポルトガルのマデイラ諸島や、カーボ・ベルデからの
移民が新しいフォリーア(カーニバルの前身)として「*エントルーダ」を持ち込む。
レモン水をかけあうドンチャン騒ぎ。深夜の22時から早朝の4時の騒ぎは禁止されていた。
ということは禁止条例が出るほど朝までドンチャン騒ぎをしていたということである。
水かけ祭りはポルトガルだけではなく世界中で行っている。
タイの水掛け祭りも有名である。

*「オ・エントルード・ファミリアー/O Entrudo Familiar
家族や親族間の中での水かけドンチャン騒ぎ。
大量のレモン水を用意したのは使用人の奴隷達である。

*「オ・エントルード・ポピュラー/O Entrudo Popular
街の中での水かけドンチャン騒ぎ。
家の2階の窓から玄関から、そこら中で通行人や
ご近所で水かけを行っていた。

*「ア・バターリャ・コントラ・オ・エントルード/A batalha contra o Entrudo
街中の水かけが、チームに分かれての攻防戦となる。
大人数で作戦を立てて水も大量に用意できるだめ
より戦略や戦術を楽しめる。


家の中でのぐっちゃんちゃんな様子。
楽しそうともいえるが、後片付けは奴隷の仕事。

カレット/Careto
この頃に上流階級の舞踏会ではない仮面のお祭り「カレット」が登場。
ポルトガルの北部の芸能をルーツとする。
動物の皮や木彫り、ブリキ、布や毛糸で制作。
カレットはブラジル全土の芸能に様々に形を変えて登場する。
ここに紹介するのはごく一部である。
*マスカラ/Máscaeaとは類似語。


カレットの仮面の皆さん。顔はアフリカの仮面のようだ。


*マラニョン州のカズンバー=森の妖怪、森の聖人の仮面

映像http://www.youtube.com/watch?v=6TJOkeDBVB8
マラニョン州のバイシャーダ・カズンバーのボイ。


*ゴイアス州のフェスタ・ジビーノ・マスカラードの仮面


*バイーア州のザンビアプンガの仮面

映像(http://www.youtube.com/watch?v=-TQZ6kLKI28&feature=related
路上でザンビアプンガ炸裂
映像http://www.youtube.com/watch?v=VflFfaGulK0&feature=related
カリーニョス・ブラウンとザンビアプンガ


*ペルナンブコ州のベゼッホ地区のパパングスの仮面。

1725年 ゴールドラッシュのミナス州とリオ州を結ぶ道路が完成。
それまでサンパウロのサントス港から出荷されていた物資は
リオから出荷が可能になる、それによってリオの人口増加、
経済成長の発展となる。

1763年 バイーアからリオへ首都移動。
リオは1502年1月にポルトガル人のガスパール・ジ・レモスが
グァナバラ湾から初上陸。後に1555年11月1日にフランス人の
ニコラス・デュランドがし、フランス地区宣言を行っていたが、
後にポン・ジ・アスーカル方面からポルトガル勢が上陸。
1565年3月1日ににポルトガルがフランスとの戦いに勝利し、
エスタシオ・ジ・サの地区で勝利宣言を行う。
(*エスコーラのエスタシオ・ジ・サの名称は、こういった
歴史を背負っていたのであった)
後にポルトガルが初上陸した1月から「1月の川」の意味で
リオ・デ・ジャネイロと命名。グァナバラ湾を川と勘違いして
川とつけてしまった。
リオは1763年〜1960年までブラジルの首都となる。


1555年フランスが初上陸し制作したグァナバラ湾の地図


1820〜1825年当時のリオ


1889年のリオ

リオの詳細
http://ja.wikipedia.org/wiki/リオデジャネイロ)
http://pt.wikipedia.org/wiki/Rio_de_Janeiro_(cidade)

1822年 9月7日皇帝のペードロ1世(在位1823-1831)が即位する形でブラジル帝国がポルトガルから独立を宣言。「イピランガの叫び」がシンボルである。
検索したら沢山出て来るので、そちらを参照下さい。

イピランガの叫びhttp://www.geocities.jp/emiliasobo/dokuritukinenn.htm

1872年 リオの港湾労働者や都市整備のために、バイーアからリオに
26,592名の黒人奴隷が強制移住。住居先が交通が不便な小高い丘の
モーホである。リオの労働者として強制移住を押し進めたのは
当時のリオ市長のペレイラ・パッソスである。
奴隷の解放が1888年なのでこの年代ではまだ解放されていない。
当時の黒人達には人生の選択の自由も意見の自由もなかった。


リオ市長のペレイラ.パッソス

モーホでの最初の集合住宅

モーホの住人の黒人家族

リオの急速に発展する都市整備(1906年)

1928年のモーホのファベーラ風景
(*As Escolas de Samba Rio de Janeiroより)


  


Posted by BBB SAMBA OKINAWA at 02:47Comments(0)歴史

2012年01月27日

サンバの歴史−6/奴隷の反乱

2012年1月26日(木)

前回のサンバの歴史−5/ブラジルでの奴隷の生活
http://wikipedisamba.ti-da.net/e3708704.html

前回はサンバのルーツの一つである芸能や
カトリックの聖人の一部を紹介しました。
いよいよサンバのルーツに近づいていきます。
(*年代が前後して、ちょっとぐちゃついてしまいました)

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【サンバの歴史−6/奴隷の氾濫】

1549年 
サルバドール建設。
初代ブラジル総督トメ・ヂ・ソウサ率いるポルトガル人入植者の到着。
砂糖産業と奴隷貿易の中心地であったポルトガル領ブラジルの最初の首都。


労働者達の様子。コラのような楽器が見える。鎖からは解放されている。


サルバドールに到着したトメ・ヂ・ソウサ総督の版画。


1549年~1763年 サルバドールが首都

1875年のサルバドールの風景

*サルバドールの正式名称はサン・サウヴァドール・ダ・
バイーア・ジ(デ)・トードス・オス・サントスで、
「諸聖人の湾の、聖なる救世主」という意味。

*サルバドール
http://ja.wikipedia.org/wiki/サルヴァドール)
(http://pt.wikipedia.org/wiki/Salvador_(Bahia))

1580年 逃亡奴隷の集落キロンボが当時のペルナンブコ州や
バイーア奥地で記録されている。

1602年、ニコラウ・バレットがサンパウロから270名のポルトガル人を従え
ブラジル内陸部を銀や新たな奴隷狩りを行う*バンデランテスと呼ばれた
探検隊が本格化。当時すでにインディオとの混血のカボクロも存在し、
案内役として奥地の村々では、ツピー・グァラニー系のインデイォ達をも
捕らえ次々と奴隷としていった。

1630年ペルナンブコ州のセーハ・ダ・バヒーガ地域の
逃亡奴隷の集落キロンボ・パルマーレスで、初のリーダー、ガンガ・ズンバが
黒人解放運動を実行。当時のペルナンブコ州は Paraíba, Rio Grande do Norte,
Ceará, Alagoasを含む大きさだった。現在その地域はアラゴアス州内に属する。
ガンガ・ズンバはパルマーレスの首長。ペルナンブコ州警察と激しく戦う。
後に解放運動を受け継いだズンビの伯父である。

1655年 キロンボ・パルマーレスで生まれだズンビ。
ガンガ・ズンバの甥っ子。
黒人解放運動の最後のリーダー。
ガンガ・ズンバ以降、抵抗の志気がますます高まるキロンボに
ペルナンブコ軍警察は襲撃するが激しい抵抗に合い撤退。
ガンガ・ズンバは1678年に一旦降伏するが、ズンビは兄弟の
ガンガ・ゾナと共に解放運動の戦いを引き継ぐ。
1694年ズンビ制圧のため、ペルナンブコ政府の州知事ソウト・マイオールは、
サンパウロ出身の奴隷狩りの名人ドミンゴス・ジョルジ・ベーリョに
パルマーレスの壊滅とズンビの殺害を依頼。
1000人のペルナンブコ州の軍隊の武力によって、
キロンボはズタズタに崩壊。
身内の裏切りの内通によって、ズンビは殺害され
首はレシーフェで展示されたという。
今でも黒人社会にとっては忘れては行けない
尊敬するヒーローの一人がズンビである。

Dia Nacional da Consciência Negra 
ズンビの記念日/11月20日



ブラジリアに建つズンビの像


奴隷狩りの名人ドミンゴス・ジョルジ・ベーリョ

その当時、逃亡奴隷の集落というには人口2万〜3万人の村に
人口が増加していたパルマーレスは徹底弾圧を受けたが、
ノルデスチからサンパウロまで、キロンボは各地に点在し
その数は増加していく。
いくつかのキロンボは現代社会と切り離された生活の中で、
土壁だけの家で貧しい暮らしを営んでいる。
ミナスやサンパウロの奥地やリオの中間にもキロンボは沢山現存する。
子供の教育問題や衛生環境、仕事など問題は山積みで、
インディオ保護区のような政府の保護政策もほとんどない。


サンパウロ州海岸沿いのキロンボの場所

キロンボ・イヴァポルンドゥーヴァの住居

キロンボ・カフンドーの風景

キロンボ・アンドレ・ロペスに住む女性

キロンボ・ピラォンエスの子供達

  *おまけ/サンパウロの奥地に日系人の経営するキロンボ温泉がある。
  「えええ?こんな所にホテルがあるの?」という道なき道を行き、
  途中手書きの案内をうっかり見過ごしたら森で迷子。
  しかし突然そこは現れる。ホテルと温泉は別の場所で、
  草原を歩いての温泉に向かう。露天風温泉もあり絶品。
  遠くから聞こえる演歌のカラオケと、キロンボ食堂の
  月見うどんはあまりにも幻妙だ。
  
  キロンボ温泉ホテル
  Hotel Estancia Hidromineral de Quilombo 
  R. Jose Bonifacio, 24-8o.andar

1641年公式記録でリオの知事
コヘイア・ジ・サ.ベネジットが、ポルトガルの王室のドン・ジョアン6世
を記念したカーニバル(フォリーア)を開催。ブラジル最古のカーニバルだ。
盛大な水かけごっこを行ったらしい。後に小麦粉を投げ合ったりもした。
当時はポルトガルの歌曲を合唱。クァデリーリャというペアダンスや
ポルカで踊っていた。イタリア式のカーニバルも混ざり合い、ブラジルの地域
によってヨーロッパの移民のカーニバルの特徴が反映し合うようになる。


水を掛け合う住民達。水鉄砲がデカい。

いきなり顔に粉つけられちゃった女性

キロンボ内での芸能。使用楽器はアフリカそのものである。

,黒人達のリズムも白人に大きな影響を与え「*カルンドゥス」「*カリャンドス」
と呼ばれる躍動感あふれるリズムが次々と生まれた。

「*カルンドゥス/Calundus」「*カリャンドス/Calandos」
カトリックの宗教がルーツ。この白人の芸能に初めてインディオも参加した。


街を練り歩く演奏者。旗を持っている白人は靴を履いているが
楽器を演奏している黒人達は全員裸足なようだ。

その当時の楽器の一部。パンデイロにはプラチネイラがついていおる。
ボタンアコーディンもある。

1680年 ブラジル内のポルトガル政府は*トルデシャーリス条約を破棄。
定められた国境を越え、アルゼンチン側に新入し、衝突が勃発。
この頃からすでにブラジルとアルゼンチンは仲が良くない。
こうした内戦は奴隷黒人のさらなる酷使を増長させ、
キロンボをますます増加するきっかけとなる。

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オススメ書籍


●大邸宅と奴隷小屋(上)(下)
著者:ジルベルト・フレイレ
出版社:日本経経済評論社
ISBN4-8188-1727-9


●QUILONBOS
政府の無料配布本






  


Posted by BBB SAMBA OKINAWA at 01:22Comments(0)歴史

2012年01月25日

サンバの歴史−5/ブラジルでの奴隷の生活

2012年1月25日(水)

前回のサンバの歴史−4/ヘアスタイルは暗号だ(2)
http://wikipedisamba.ti-da.net/e3707742.html


ちょっと歴史から脱線して、アフリカン・ヘアスタイル特集を行いました。
相違工夫、意外性、美しさの追求は半端じゃありません。
そのあくなき探究心は、きっと音楽や信仰にも込められていると思います。

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【サンバの歴史−5/ブラジルでの奴隷の生活】

16〜18世紀。ブラジルのサトウキビ・プランテーション、港湾事業。
都市開発など、黒人奴隷は徹底的に働かせられますが、
15世紀の頃に比べたら、いくばくかの自由も得る事ができるよう
になってきている。しかし男性の鎖ははずされていない。

【1800年代初頭、リオで暮らす黒人奴隷の様子】


町の中で友人に挨拶。

仕事中に一休み。

命令に背いたものは容赦なく見せしめの刑を受けていた。

反抗的な態度は徹底的な虐待を受け。殺されること珍しくなかった。

アフリカの民間療法での病気治療。角を使ったお灸など。

  *サンパウロの中心の東洋人街はその昔、奴隷市場であり、
   反抗的な奴隷の処刑所と奴隷の遺体捨て場の場所であった。
   現在でもその黒人奴隷の魂を祭る大変に小さな教会が
   Rua dos Estudantesぞいから少し入ったお店の奥にあるのだ。
   有名な黒人アーティストがろうそくを捧げてお祈りに来ることもある。

  *黒人奴隷の歴史と関係が深い、現在の東洋人街の地下鉄の
   広場には、サンパウロでも有数のウンバムダの専門店「7 Linha」
   がある。オリシャの儀式の道具や消耗品、衣装、アクセサリー、
   CD、DVD、書籍、ろうそく各種、願かけグッズなど何でも揃う。

1696年 ミナス州で金鉱発見。ゴールドラッシュの幕開け。 
奴隷は鉱山労働者としてどんどん送られ、内陸部の開発が進む。   
ミナス州ベロオリゾンチには「コンガード/Congado」
「モザンビーキ/Moçambique」
「ヘイザード/Reisado」
という芸能があります。
黒人奴隷の芸能であったコンガーダやモザンビーキなどは
後にサンバにも関係した芸能の一つとしてあげられています。
モザンビーキやヘイザードはコンガーダと関係している芸能です。

「コンガード/Congado」「コンガーダ/Congada」
架空のコンゴの王「Chico Rei」とアンゴラの女王「Rainha Ginga
を讃える芸能。1705年、André Joāo Antonil氏の記録に、
ミナスでカトリックの「聖ベネジット祭」で黒人奴隷が、
ノッサ・セニョーラ・ダ・ホザーリオ教会前に400名が集まり
太鼓を叩き、コンゴの王様の神話の行列を行いました。
コンガーダはミナス以外にサンパウロやリオ、ノルデスチにもあり、
地域によって使用する楽器や衣装、ダンスもそれぞれ異なる。
楽器はサンフォーナ(アコーディオン)、ザブンバ、カイシャ、
クイーカ、パンデイロ、ヘコヘコ、カバキーニョなど。
記載によっては「コンガーダ」とは「コンゴのダンス」とあるので、
芸能そのものの正式名称は「コンガード」だろう。

Congadohttp://pt.wikipedia.org/wiki/Congado


コンガーダ/ミナス州、サンセバスチャン・ド・パライーゾ

映像http://culturacomarte.com.br/tag/congado/
 ミナスの太鼓として紹介、コンガーダやモザンビーキもあります。
映像http://www.youtube.com/watch?v=VAwEI2kVmqI&feature=related
 映像http://www.youtube.com/watch?v=KJ4c8rnMjWg&feature=related
 コンガーダの路上での演奏風景

「モザンビーキ/Moçambique」
モザンビーキは2種類あります。
モザンビーキ・ポルトゲイス/Moçambique Portugues」と
モザンビーキ・アフロ/Moçambique Afro
モザンビーキ・ポルトゲイスでは船乗りのような衣装。
隊列は2列。膝に鈴をつけている。2本の棒は剣の象徴。


モザンビーキ・ポルトゲイス




ミナス州のモザンビーキ・アフロ。
青は太鼓の守護神サン・ベネジットの色である。

モザンビーキ・アフロの特徴に、以下の楽器類を使用します。

缶を使った「Gunga/グンガ」を足首に取り付ける。
足ガンザである。

他に丸い中華鍋かお菓子の缶のような楽器で
パダンゴミ/patangome
シタンゴミ/ xitangome
と呼ばれる金属で作ったシェケレのようなあります。
サンバの「ガンザ/Ganza」の原型。


パタンゴミ/8分の6拍子で刻む(下の映像で演奏シーンをチェック!)

映像http://www.youtube.com/watch?v=NDJ0HXN4w6g&feature=related
 タイトルはミナスのコンガーダとあるが、これはモザンビーキ・アフロ。
 最初の方に中華鍋のような楽器がパタンゴミ。
映像http://www.youtube.com/watch?v=i8R3lEzsfrE&feature=related
 モザンビーキ・アフロ。素晴らしい内容です。
映像http://www.youtube.com/watch?v=TTmz1DJnlNg&feature=related
 ミナスの太鼓フェスのクリップ。あの人やあの人も出演してる、わかるかなぁ〜?

モザンビーキはブラジルでカトリックのお祭りに行われるようになり
ノッサ・セニョーラ・ダ・ホザーリオ/Nossa Senhola do Rosário」祭や
聖ベネジット/Sāo Benegito」祭で教会に演奏を奉納。
特に聖ベネジットは太鼓の守り神として黒人達に絶大な人気をえていた。

ノッサ・セニョーラ・ド・ホザーリオ/Nossa Senhola do Rosário
1208年に聖ドミンゴ・グスマン神父がマリア様から啓示を受ける。
(マリア様の死後も、世界中でその姿を見る人は多い)
その後、ムレットの戦いやレパントの戦い時でも、
マリア様からの啓示を受けた戦士がいると必ず勝利をしたことから、
1573年に当時のローマ法王のグレゴリオ8世により
「勝利の女神/Nossa senhora da Vitória」と命名。
後にローマ法王クレメンテ7世が、マリア様の別名「ロザリオのマリア」から
「Nossa Senhola do Rosário」と変更し現在にいたる。10月7日が記念日。
勝利の象徴から、黒人奴隷の守り神とされている。
子供を抱いたマリア様の像がシンボル。

   
   ノッサ・セニョーラ・ダ・ホザーリオ
     
聖ベネジット/Sāo Benegito
1524年イタリアのシシリア島で、貧しいエチオピア系の
黒人奴隷から生まれたベネジット。
18才になり、サン・フランシスコ・アシスの弟子として認められる。
1589年にイタリアのパルレモで死去するまで、
布教活動と教会の料理人として高い評価を得ていた。
黒人系の実在した聖人である。10月5日が記念日。
ブラジルでは黒人全体の守り神。太鼓の守護神でもある。

  
   サン・ベネジット

サン・ベネジットのブラジルでのイベント情報
http://www.selomundomelhor.org/fotos/festa-de-sao-benedito-aparecida-do-norte-sp/


ノッサ・セニョーラ・ダ・ホザーリオのお祭り(1)

ノッサ・セニョーラ・ダ・ホザーリオのお祭り(2)

ヘイザード/Reisado
ポルトガルから伝わるカトリックの宗教儀式を取り入れたブラジル民族芸能。
祈り=Reisa が語源。12月24日から1月6日の期間がヘイザードのお祭り期間。
キリストの誕生時に尋ねた東方の三賢者を表す「Dia de Reis」の期間とされている。

映像http://www.youtube.com/watch?v=tjHa0dErLJ4&feature=related
映像http://www.youtube.com/watch?v=mJntbUD09Po&feature=related


東方からやって来た三賢者

*東方の三賢者(http://ja.wikipedia.org/wiki/東方の三博士)

類似した芸能のFolia de Reis/フォリーア・ジ・ヘイス
ここからきている。「愛、戦い、信仰心」がテーマである。
ペルナンブコ州のヘイザードが大変に有名。教会の形をした帽子はインパクト大。

映像http://www.youtube.com/watch?v=APrGS2Zc_9M&feature=related
映像http://www.youtube.com/watch?v=y_ExyvkdBHo&feature=related

16〜17世紀になるとポルトガル人を通じて、
ヨーロッパの仮面舞踏会の習慣がブラジルに伝わる。
奴隷達もこれをマネて独自でアレンジを加え楽しんだ。
この影響が残る最古の伝統芸能が、現在ブラジルの
セルジッペ州に残る「パラフーゾ/Parafusos」。
農場主が廃棄した女性のスカートを使って、
少年達がくるくる高速回転。
パラフーゾとはネジの意味。
カーニバルでのバイアーナのダンスの原型か。



パラフーゾのダンス


1700年代、サルバドールでは、ビリンバウのないカポエイラの様子も
描かれている。絵をよくみたら右下にトロンコと呼ばれる木をくり抜いた、
片面革ヘッドの太鼓の上にまたがって演奏。
靴を履いている人はまだ一人もいない。
ジョーゴのすぐそばで鍋で煮炊きをしている女性もいるが、
カポエイラのすぐそばで調理は危ないぞ!。


休日では奴隷は完全に解放されている。
仲間が集まって「バトゥッキ/Batuque」の
リズムとダンスを楽しんだという。
サンバの原型とも言われるもの。輪になって手拍子と歌と太鼓で
ペアでダンスを掛け合い楽しんだという。

バトゥッキとは、アフリカのギニアやナイジェリアの芸能から
オリシャの信仰を土台にブラジルではジェジェー、ナゴー、
イジェシャ系もバトゥッキから生まれたものだ。
現在、サンパウロの内陸部や南部のリオ・グランデ・ド・ノルテ
で継承されている。バトゥッキのオリシャはBará ( Exú )をトップに
Ogum, Oiá-Iansã, Xangô, Ibeji, Odé, Otim, Oba, Osanha, Xapanã,
Oxum, Iemanjá, Oxalá e Orunmilá 。
カンドンブレのオリシャとは少し違うのが特徴。
ウルグアイやアルゼンチンでも信仰されている。
(この詳細は長くなりますので次回!)

バトゥッキhttp://pt.wikipedia.org/wiki/Batuque

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オススメ書籍


●Rio de Janeiro Cidade mestiça
著者:Jean Baptiste Debret
出版社:COMPANHIA DAS LEIRAS
ISBN 85-359-0168-X
1816年の頃のリオで暮らす黒人奴隷の様子を描いた絵画集。
   


Posted by BBB SAMBA OKINAWA at 20:45Comments(0)歴史

2012年01月25日

サンバの歴史−4/ヘアスタイルは暗号だ(2)

2012年1月25日(水)

前回のサンバの歴史−3/ヘアスタイルは暗号だ(1)
http://wikipedisamba.ti-da.net/e3707726.html

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【サンバの歴史−4/ヘアスタイルは暗号だ(2)】

アフリカに黒人のヘアスタイルや刺青は看板であり、所属部族の証明。
階級であり、暗号であり、メッセージである。
引き続きアフリカの芸術的なヘアスタイルをご紹介。
造形としても心底素晴らしい。
徹底した相違と工夫は音楽にも生かされる。
















  


Posted by BBB SAMBA OKINAWA at 02:43Comments(0)歴史

2012年01月25日

サンバの歴史−3/ヘアスタイルは暗号だ(1)

2012年1月25日(水)

前回のサンバの歴史−2/誰が奴隷を調達?
http://wikipedisamba.ti-da.net/e3707702.html

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【サンバの歴史−3/ヘアスタイルは暗号だ(1)】

黒人のヘアスタイルや刺青は看板であり、所属部族の証明であり
階級であり、暗号であり、メッセージである。
今回はちょっと脱線して、アフリカの芸術的なヘアスタイルをご紹介。

















  


Posted by BBB SAMBA OKINAWA at 02:00Comments(0)歴史

2012年01月25日

サンバの歴史ー2/誰が奴隷を調達?

2012年1月24日(火)

前回のサンバの歴史−1/奴隷貿易とは?
http://wikipedisamba.ti-da.net/e3707162.html

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前回はヨーロッパが何故奴隷貿易を始めたのか? 
ポルトガルがどうやって奴隷貿易に参入していったのか、
奴隷船での奴隷管理方法などを紹介した。
今回はポルトガルを始め、ヨーロッパが次々と奴隷貿易に参入
していく過程と、誰が奴隷を販売していたのか?を考えてみたい。
何故なら現代の宣伝マーケティングも同じ手法である。
時代は変わっても、人々を飛びつかせる効率の良い普遍的な
方法は同じようだ。

【サンバの歴史ー2/誰が奴隷を調達?】

もっとも直接的にアフリカの情報を伝えたのは、グラナダ出身の
旅行家で地理学者の、アラブ系ムスリムハサン・ブン・ムハンマド
による北アフリカ全域の旅行と情報である。
1520年にチュニジアでイタリア系の海賊に拉致され、ローマ教皇の
レオ10世に献上された。彼は「無数の黒人が使い切れないほどの金
を所有している」「トゥンブクトゥ(マリ)の王が莫大な金を所有」
などという見解を1550年に「航海と旅について」という書籍をイタ
リア語で出版、1556年にはタイトルを変えて「アフリカ誌」として
フランス語とラテン語で出版。1600年には英語で出版され、ヨーロ
ッパ全域にその情報はさらに大袈裟に広まってしまう。
アフリカ=黄金伝説の本格始動は始まる中、ローマ教皇はムスリムの
彼を大切に扱い、厚遇されたことからキリスト教に改宗した。
以後、彼は通称レオ・アフリカヌスと呼ばれるようになった。

ポルトガルの進出はサハラ交易に革命的な変化を与えた。
それは「注文交易」である。情報を持っているポルトガルは
何が欲しいか使者を使って相手国に発注し用意させるたのである。
ポルトガル人は黒人たちの好みの布や毛布、羊毛、塩を用意して
西アフリカで黒人たちに販売。
アフリカで受け取ったのは金や動物の毛皮と黒人である。

しかしポルトガルやヨーロッパが奴隷貿易を始める前から
サハラではイスラーム社会の中で黒人奴隷貿易のルートとシステムは
すでに確立されていた。定住せずに砂漠を移動して生計を立てていた
遊牧ムスリム達は、黒人のどの部族とどの部族が敵対関係かを把握。
敵対関係の部族から奴隷を調達できたのである。
または同じ地域の仲の良かった部族を、あえて敵対関係に仕上げる
戦略は、少数の部族を優遇し、多数の部族を管理するという、後の
植民地政策でも多いに活用されていく。

当時のイスラム社会の中での奴隷は、家族を持つことも許され、
自由の身として解放されたり、能力のあるものは高い位につくことも
あったという。イスラム社会では奴隷交易の数も捕獲の方法も、
使用法においても奴隷の社会や人間性を破壊するほどではなかった。
しかしポルトガルをはじめ、奴隷を求めるヨーロッパ諸国に
誰が奴隷を調達したのか? それは勿論サハラ全域の情報を
掌握していたイスラム系部族の力によるものである。


通称‥ティポ・ティプ。中央アフリカで一番力を持つアラブ商人。
配下の者は注文で付近の黒人の集落を襲撃し、象牙や奴隷を集めてきた。

当初黒人奴隷は馬と交換されていたが、膨大な数を求めたポルトガル
やヨーロッパはなりふり構わず、イスラム系部族のルートを探り、
直接奴隷狩りに進出。黒人が黒人を無差別に大規模に襲撃し捕獲。
ヨーロッパ諸国の買い付け人に販売した。自分を守るために
他の部族から仲間まで、片っ端から奴隷として売り渡したのである。
この事実は、今日の近代アフリカの紛争にまで続いている問題だ。
今だに、ずっと引きずっている。


黒人が黒人狩りをしてヨーロッパ人に奴隷として売った。

1570年 アフリカから黒人奴隷を直接ブラジルへ移入開始。
複数の地域から集められた奴隷は、当初は病気、過労、待遇の悪さ、
伝染病、処刑、自殺が多かったという。
女性も出産を控え、出世率が低かったことも奴隷の移入の
増大の原因なったという。子供を生ませるだけの奴隷牧場
なども一部では実行されたが子供を育てる時間の余裕はない。
年寄りの奴隷を奴隷買い付けの船の船員に使用し、
即戦力のある奴隷を買い付けて、年寄りを現地で置き去り
(廃棄)したという。ブラジル生まれの奴隷が、アフリカに
置き去りにされたのである。その現存する地域がベニンにある。
現在でもベニンの一部の地域「バイホ・ブラジレイロス/
ブラジル地区」では、年に一度、祖先はブラジルからやって
きたとしてブラジル祭を開催している。
ベニン生まれのベニン人が、その日は祖先の故郷ブラジルを忍び、
祖先から伝わるブラジル音楽をベニン人が演奏するのだ。
オリシャの神に守られて、パンデイロを叩き、マルシャを演奏し、
オリンダのカーニバルのような大きな人形も登場する。
古いブラジルの姿がベニンで伝承されている。

当時のブラジルでの奴隷管理は、黒人同時でできるだけ会話を
させないように、同じ黒人でも部族の違うものを一緒にしていた。
そこでは言語や習慣が異なっていたが、集団生活の中でブラジル
側の管理体制で、奴隷達はポルトガル語の会話の習得を義務づけ
ていくことによって奴隷同士が、お互いの共通点や妥協点を認め
合って行く。政府や農場主は、奴隷を消費するだけではいくら
奴隷を入れても足りないし経済効率の悪さに気がついた。
「奴隷牧場」の失敗は結果を急ぎすぎた。今回は大量に奴隷を
効率良く育てる「黒い家畜の育成」に力を入れた。
健康な子供を沢山生み育てる若い健康な女性の奴隷は大切にされた。
食生活もポルトガル方式に慣れてきた女性の奴隷の出生率は
飛躍的に高くなっていったのである。
部族の違う黒人同士の婚姻によって、さらに部族間の違いは
薄くなり、宗教や音楽の融合が起きた。
ブラジル音楽が生まれる土台がいよいよできあがっていく。


海岸地域でのトウモロコシ販売。
ポップコーンなども作っていたという。
粉にして保存食も作っていた。


奴隷の子供の売買風景。
夜は農園主のダンスパーティーなどに使用したという。


一部の裕福な女性の奴隷
顔の刺青によって部族が分かれている。



男性の奴隷のヘアスタイル。
部族や年齢によって刺青やヘアスタイルが変化。


後に自分のオリシャによるヘアスタイルの変化に発展。

1、シャンゴー/Xangô
2、オグン/Ogum
3、イヤンサン/Iansā
4、ナナン/Nanā
5、オシャラー/Oxalá

【ヘアスタイルは暗号だ・・・に続く】
  


Posted by BBB SAMBA OKINAWA at 00:52Comments(0)歴史

2012年01月24日

サンバの歴史−1/奴隷貿易とは?

2012年1月24日(火)

最初に消してしまった「サンバの歴史」復活&改訂版。

●ここでのカタカナ表記は翁長の独断表記である。
ヒオではなくリオに統一。
サウヴァドールではなく、サルバドールに統一した。
すべて、こんな感じである。
正しい発音には、厳密に何もこだわっていないのでご了承下さい。

●私はアフリカからの奴隷の専門家ではないので、
参考になったオススメ図書をばんばんご紹介いたします。
写真やイラストも多く、初心者でもわかりやすい本ばかり
を選んだ。奴隷制度を知る上で、ブラザー好きで歴史にも
興味のある方はぜひとも購入して欲しい書籍ばかりである。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

【サンバの歴史ー1/奴隷貿易とは?】

 15世紀から17世紀、ヨーロッパの大国は次々とインド・アジア方面、
北米アメリカ、南米アメリカへ探検という名の海外進出を行った。
そこには先住民族が生活を営んでいるにもかかわらず「地理上の大発見」
「新大陸大発見」と命名し、ヨーロッパの大国が認識していない土地は、
見つけた国がかってに所有権を宣言。もしくは所有権争いを行っていた。
大船団を組んで探検という名でスペイン,ポルトガル、イギリスは新大陸
探検をを求める。未知の土地での布教活動による噂は「キリスト教も知らない、
野蛮な人々が住み、金銀財宝があふれ、香辛料の豊かな宝の山だという」
大袈裟な情報も大きく影響し「遅れをとっては、ライバル国に先を越され
て発見されてしまう!」と、布教と貿易の名の元、資源確保のため、オラ
ンダ、ベルギー、ドイツなども続き、植民地争いに突入していく。
後に、ここで得たノウハウはアフリカでの奴隷貿易に活用。

 そもそもは「向こうには何があるのだろう?」という純粋な地理の
空白への好奇心は、上手く物欲と国策に利用されていったのだろう。
「それまでは海域ごとに孤立していた地球上のすべての海洋をひとつに
結び付けたことから「大」航海時代と称した」ということである。
得た物もたしかに大きいだろうが・・・

現在は「開発事業」の言い換えで似たようなことを継続。
そのやり方やシステムはより複雑で狡猾である。

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1500年 ブラジル発見。ポルトガルのペドロ・アルバレス・カブラル
率いる船団が現在のポルト・セグーロ近辺に初上陸。赤い染料の木材
「パウ・ブラジル」から国の名前に。この木は乱伐により現在は大変に
数が少なくなっているが、観光資源なので植林も進んでいるとのこと。


パウ・ブラジルの花


パウ・ブラジルってこんな木


伐採されたパウ・ブラジル。中心が赤い。


パウ・ブラジルのお土産品・幸運のフィガ

パウ・ブラジルhttp://ja.wikipedia.org/wiki/ブラジルボク)

歴史に関して同じような事を書いても仕方ないので
ブラジルの歴史の概要は以下のサイトなどを熟読して下さい。

ブラジルの歴史http://ja.wikipedia.org/wiki/ブラジル)

【アフリカからの奴隷貿易が始まるきっかけ】

12世紀、ヨーロッパ社会では封建制度の安定と農業収益の
工場によって都市部の商業は発展。当時のヨーロッパは
銀本位制で銀貨が製造。王侯貴族の食器も教会の聖杯も銀。

その頃のイスラム圏は金本位制度で金貨を使用。
しかし十字軍を通じてヨーロッパは金貨にも興味津々となり、
1252年イタリアのフィレンツェでフロリン金貨、ジェノバで
ジェノバ金貨、ヴェベチアでゼッキーノ金貨を発行。
金の流入はヨーロッパを金本位制に変えていく。
やっぱ見た目も金がいいのである。
金をきかっけに、さらに外の国、外の世界に目を向けていく
ようになった。「先に見つけるのだ誰だ?」の競争だ。

15世紀の大航海以降、ヨーロッパの人々の未知の大陸への
好奇心は膨らむ一方。「不思議な慣習の民族」「見たこと
もない生物」「人食い人種」「頭のない大男」「金で覆われ
た家」・・・などアラブ世界にも広まっていた黒人王国の
黄金伝説を始め、大袈裟な噂だけが広がり、冒険心と虚栄心
を多いに刺激。誇張されヨーロッパに伝わる。
今でいう2ch状態の大炎上。

【ポルトガルの進出】

14世紀〜ヨーロッパは金貨の製造のために大量の金が必要と
なる。遅れて金の獲得合戦に参加したポルトガルは、地中海の
ムスリムを仲介するのではなく、大西洋に航路を求めた。
それまで不可能とされていた大西洋沿岸からのアフリカ上陸は
アフリカからの搾取貿易の新手法となる。
ポルトガルは新航路によって「ポルトガル海上帝国/
Império Português」を設立した。領域支配より交易のための
海上覇権が中心であったので、このように呼ばれる。
オランダ海上帝国も同様。メキシコ、ペルーにおける領域支配を中心
としたスペインの場合は海上帝国とは言わない(スペイン帝国)。


1410年から1999年までにポルトガルが支配したことのある領域(赤)、
ピンクは探検等、水色は制海権を得たことのある海域。

ポルトガル海上帝国http://ja.wikipedia.org/wiki/ポルトガル海上帝国)


ポルトガルによる新しい航路の開発。

ポルトガルは金の他、当時高価だったサトウキビ・プランテー
ション経営のため、マデイラ島、アゾレス島にセネガル、
ギニア、モーリタニアから約1万人の奴隷を連れてきた。
当時大変貴重な砂糖は高価格。商売敵もいないので独占販売だ。
ポルトガルはさらに、ギニア湾のサントメ島、プリンシペ島で
当時世界最大の砂糖の生産を行っている。
(*サントメ・プリンシペは完全に植民地化し、後に独立国)

【ポルトガルによるアフリカの植民地】

サントメ・プリンシペ(http://ja.wikipedia.org/wiki/サントメ・プリンシペ)
ギニア・ビサウ(http://ja.wikipedia.org/wiki/ギニアビサウ)
カーボ・ベルデ(http://ja.wikipedia.org/wiki/カーボベルデ)
アンゴラ(http://ja.wikipedia.org/wiki/アンゴラ)
モザンビーク(http://ja.wikipedia.org/wiki/モザンビーク)

アフリカ近隣からおよそ、7万人の黒人が労働力として強制移住。
 当時は大西洋の横断には高いリスクが伴い、黒人奴隷の値
段も高く、取引数は30万人程度だったというが、その後の
1世紀の間に航海の技術は大進歩。奴隷そのものの商品価値と
市場のニーズが高まり、ヨーロッパ植民地政策は、
いよいよ労働力確保のため、アフリカからの奴隷貿易を競い
合うように本格的に開始。アフリカから奴隷として1200万人
〜1500万人が物として販売され強制移住。
人類史上最大級の人口移動と犯罪行為だ。


当時のポルトガルの王、ドン・ジョアン3世はこんな人。
この絵では割と地味な方で王様っぽくない。

アフリカの大西洋は奴隷海岸とも呼ばれ、
奴隷からさらに換金性の高い象牙や金に変化していく。
資料によると、南部のコンゴやアンゴラは無気力な奴隷
が多く労働者の質は悪いとされ、ナイジェリア、セネガル、
シェラレオネ、ベニン、ギニアの地方の奴隷が評判が
良く高値で売れたという。


奴隷売買の推移。

1550年 ブラジルに初めて、アフリカの奴隷がポルトガル経由で
送られてくる。奴隷船は強制収容所であり、過密で劣悪な
環境での移動。病気で亡くなる人や船上での氾濫は徹底
弾圧を受け死を意味していた。


奴隷船での奴隷の管理。
寝るしかない状態。ただの物扱いである。

【奴隷の管理】

商品の奴隷が極端に弱ったり、死んだりしないように
1日2回、女性と子供は甲板に出て食事とつかの間の
自由を与え、男性は鎖でつないだ上で食事を与えていた。
食事はトウモロコシ、キャッサバ、そら豆、米のスープ
にアフリカ産のピーマンで少し味つけされていたという。
奴隷船には食料や水も積み込める制限もあり、2ヶ月以
内に到着できないと、アフリカで積み込んだ果物が消費
されてなくなり、長旅による壊血病が奴隷だけではなく
船員にとっても深刻な問題だったという。

当時の「黒人奴隷の取り扱い書」には
・伝染病には最新の注意を払う。
・シラミ防止に2週間に一度は散髪を行う。
・2週間に一度は甲板で水浴びをさせる。
・食事はビタミンを欠かさず量は最低限で。
・氾濫を起こす可能性のある奴隷には、
食事そのものは最小限に与えること。
・時々ビスケットを与えて良い。
・時々ブランデーを与えて良い。

1570年 アフリカから黒人奴隷を直接ブラジルへ移入開始。


当時のブラジルでの奴隷管理はかなり残酷だ。
後に管理体制はだいぶ変化していく。

【オススメ参考図書】


「知の再発見/絵で読む世界文化史」創元社
‥アフリカ大陸探検史/著者:アンヌ・ユゴン
‥奴隷と奴隷商人/著者:ジャン・メイエール


「世界史リブレット」山川出版
‥アフリカ史の意味/著者:宇佐見久美子
・サハラが結ぶ南北交流/著者:私市正年





  


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2012年01月22日

サンバ関係書籍(5)

2012年1月22日(日)

サンバ関係書籍(1)(http://wikipedisamba.ti-da.net/e3703801.html
サンバ関係書籍(2)(http://wikipedisamba.ti-da.net/e3703856.html
サンバ関係書籍(3)(http://wikipedisamba.ti-da.net/e3703953.html
サンバ関係書籍(4)(http://wikipedisamba.ti-da.net/e3704030.html

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サンバ関係書籍(5)

本ばっかズラズラ並べてすみません。スキャン作業も飽きてきました。
今回のでとりあえず終了します。
専門用語を掲載するのに調べたり、今後の記事を掲載するのに使用している資料です。
自分の解釈や思い込みが間違っていないかも心配だし、書いた責任もあるので
できるだけ正しい内容を伝える努力をします・・・しかし人間は間違うことも
あるので誤字以外に、明らかに翻訳のミスなどがあればご指摘下さい。
即座により確実な良い内容に変更して完成していきたいと思います。

●INSTRUMENTOS MUSICAIS POPULARES PORTUGUESE
出版:FUNDAÇĀO CALOUSTE GULBEBKIAN
著者:ERNESTO VEIGA DE OLIBEIRA

「ポルトガル楽器」というやたら太く重い本。
これはポルトガル領事館の文化班に図々しく連日通い、
ポルトガルの植民地のアフリカ関係の本やら、楽器や
音楽に関する本をばんばんコピーしてきた一部である。
この資料は写真が中心でかなり使いやすい。
ブラジルの弦楽器がいかにポルトガルと関係しているか
写真が如実に語る。ポルトガルのジプシーも素晴らしい。
パンデイロの歴史をひもとく資料でもある。



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●DICIONÁRIO DE AFRO BRASILEIRAS
2003年出版/出版社:PALLAS (RJ)
ISBN 85-347-0187-3
著者:RAUL LOBY

アフロ・ブラジル全般の専門用語辞典。
食材、楽器、器具、建築、家具、身体、衣装、
信仰、儀式などにカテゴリー分けをされていて
大変に使いやすい。ヨルバ語、バントゥー語、
インディオがらみと使用言語は複雑だ。
ここでの単語はサンバなどの歌詞に使われていたりする。



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他にもあるので、またここに追加していきます!


  


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2012年01月22日

サンバ関係書籍(4)

2012年1月21日(土)

サンバ関係書籍(1)(http://wikipedisamba.ti-da.net/e3703801.html
サンバ関係書籍(2)(http://wikipedisamba.ti-da.net/e3703856.html
サンバ関係書籍(3)(http://wikipedisamba.ti-da.net/e3703953.html

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サンバ関係書籍(4)

●A CAPOEIRA ANGOLA NA BAHIA
1997年出版/出版社:PALLAS (RJ)
ISBN 85-347-0126-1
著者:MESTRE BOLA SETE

カポエイラ・アンゴラの歴史と仕組み、ルール、技の名称、
歌の歌詞などを豊富に掲載。カポエイラはサンバ・ジ・ホーダに
深い関係にあり、サンバを理解するのに欠かせない。
写真資料も多く読みやすい。



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●CONTRIBUIÇĀO BANTU NA MUSICA POPULAR BRASILEIRA
PERSPECTIVAS ETONOMUSICOLÓGICAS
 2000年出版/出版社:EDITORA PELES
ISBN 85-87769-04-9
著者:KAZADI WA MUKUNA

ブラジルの黒人にも大きな関連のあるアフリカのバントゥー系の
音楽とブラジル音楽との比較論文的、文化人類学ルポ。
地図や譜面での比較など、かなり興味深いが表現が難しい・・・。



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●O LIVRO BÁSICO DOS OGĀS
2005年出版/出版社:EDITORA CONE (136頁)
ISBN 83-274-0840-6
著者;SANDRO DA COSTA MATTOS

オリシャ信仰でのアタバキ奏者は選ばれた者だけが叩いて良い。
その選ばれたものは「オガン」「アラベー」と呼ばれている。
オガンの内情やアタバキに関する紹介。
アタバキはサンバ・ジ・ホーダなど関係するため重要資料。



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●ENCICLOPÉDIA DA MUSICA BRASILEIRA
1997年出版/出版社:ITAÚ CULTURAL
無料配布

イタウー財団による助成を申請していただいたもの。
ブラジル音楽関係者の人名辞典。
かなりオタクな人名も・・・伝統芸能関係者の人名や
背景もわかり助かります。



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●BRASIL NO FOLCLORE
1970年出版/出版社:EDITORA AURORA
 著者:JOSÉ RIBEIRO (540頁)

ブラジルの伝統芸能リストとその紹介。
昔の本なので、今ではない名称などもあり面白い。
ええ〜何これ?初めて聞いたってのが沢山。
サンバ関連の芸能名称も多く、これからの課題。
ブラジルの伝説や神話もある。



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●DICIONÁRIO DO FOLCLORE BRASILEIRO
1999年出版/出版社:EDITORA GLOBAL
ISBN 85-260-0644-4
著者;LUIS DA CAMARA CASCUDO

ブラジル伝統芸能辞典。お祭り、芸能名、リズム、名詞、
供え物、妖怪、人形、ダンス・・・など、
伝統芸能に関する様々な名称の説明。
かなり詳しいので重宝。



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●BRASIL
2000年出版/出版社:EDITRA ABRIL

子供向けのブラジルの歴史を学ぶ本。
毎週雑誌を購入し、資料を自分で仕上げるもの。
写真ヤイラスト、グラフが多く見やすい。
子供用なので「知るきっかけ」に最適なデータ本。



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【続く】






  


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2012年01月21日

サンバ関係書籍(3)

2012年1月21日(土)

サンバ関係書籍(1)(http://wikipedisamba.ti-da.net/e3703801.html
サンバ関係書籍(2)(http://wikipedisamba.ti-da.net/e3703856.html

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サンバ関係書籍(3)

●A BUSCA DA ÁFRICA NO CANDOMBLÉ
2005年出版/出版社:PALLAS (RJ)
 ISBN 85-86011-85-1
著者:STEFANIA CAPOTE

ブラジルのカンドンブレの歴史と流れ、分布図。
アフリカの信仰との共通点と違い。
ブラジルでのオリシャの解釈と役割・・・など。
サンバを理解する上でカンドンブレは欠かせない要素。
写真少々だが、図面はわかりやすい。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

● ALMANAQUE DO SAMBA
2006年出版/出版社:EDITORA J・Z・E(RJ)
 ISBN 85-7110-897-8
著者:ANDRÉ DINIZ(274頁)

サンバの歴史、バテリア、サンバの歌、ラジオ、マスコミ、
音楽業界、ボッサノーバ、サンバ・カンサォン、エンヘード、
パゴージ、はみ出し記事・・・写真も多く読みやすい。



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●ESCOLA DE SAMBA VAI-VAI
2003年出版/出版社:EDITORA ANTONIO BELIINI
著者;BETH FREITAS、CLAUDIAALEXANDRE、
 CRISTIANE MOLINA、EVARISTO CARVALHO
限定無料本

VAI-VAIの写真集。古い写真など素晴らしい。
サンパウロのサンバの背景や歴史もちょろっと掲載。



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●CONVOCAÇĀO GERAL A FOLIA ESTÁ NA RUA
2000年出版/出版社:EDITORA ARTˆFICE
ISBN 85-86882-14-3
著者:NELSINHO CRECIBENI

サンパウロの路上でのカーニバルの歴史とデーター本。
かなり貴重。昔のサンパウロのカーニバルは過激だ!
かなり面白い。今はリオのマネになっちゃってる印象。
それぞれの地域が自由に発展して欲しい(日本もね)
表紙は1936年に中心地に設置された巨大なロボ・ヘイ・モモ。
76年前にこんなことしていたのか?サンパウロ?



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●IMPERATRIZ DO CARNAVAL(DVD付き)
 2008年出版/EDITORA LOG・ON MULTIMEDIA
 ISBN 978-85-86999-41-3

4カ国語。インペラトリスの写真集付きDVD。
観光土産のサンバDVDだが、なかなか良いデキ。
映像でエスコーラの雰囲気やカーニバルの制作裏なども紹介。



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●MANGUEIRA
2011年出版/無料配布本

マンゲイラの写真とマンゲイラの歴史を紹介するマンゲイラ本。
最近のマンゲイラの様子や新しいプロジェクトを紹介。



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●RIO SAMBA E CARNAVAL
 毎年リオ観光協会から発行 

高級ホテルにて無料配布されている雑誌。
その年のリオのカーニバルの全貌や
エスペシャルのエスコーラのデーターや歌詞を掲載。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

【続く】




  


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2012年01月21日

サンバ関係書籍(2)

2012年1月21日(金)

前回のサンバ関係書籍(1)(http://wikipedisamba.ti-da.net/e3703801.html

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サンバ関係書籍(2)

●!00ANOS CARNAVAL NO RIO DE JANEIRO
2000年出版/出版社:IRMĀO VITALE (SP)
ISBN 85-7407-116-1
著者:HAROLD COSTA (245頁)

リオのサンバやカーニバルに詳しい著者の第二弾。
リオを中心としたサンバの歴史を紹介。
ゼ・ペレイラ、仮面、アレゴリアなどの作り物、
ランショ、信仰とカーニバル、歌としてのサンバ。
アフォシェやフレヴォも。写真も満載。



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●CARNAVAL CARIOCA (CD付き)
 2000年出版/出版社:EDITORA CARAS(80頁)
 ISBN 858618638-4
 CD付き写真集。

雑誌のCARASから、サンバ100周年特別編集写真集。
オールカラーで4カ国語編集。1932年からの優勝チームリスト。
CDが往年の超有名エンヘードばかりの選曲で素晴らしい!
初心者向き。もし入手可能なら絶対持っていたい1冊。



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●TEM MAIS SAMBA
2003年出版/出版社:EDITORA34 (344頁)
ISBN 85-7326-287-7
 著者:TĀRIK DE SOUZA

伝統的なサンから、最近のエレクトリックなサンバまでの歴史と背景
などを紹介。各時代の寵児のサンバアーティストのインタビューや
サンバのインストなど、最近のサンバの流れのルポが面白い。



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●NO PRINCÍPIO,ERA A RODA
2004年出版/出版社:EDITORA ROCCO (318頁)
ISBN 85-325-1790-0
著者:ROBERTO M.MOURA

アフリカからのサンバの歴史、プラッサ・オンゼ、ペーニャのフェスタ、
テヘイロとクァドラ、サンパウロのホーザ・ジ・オウロ、
リオのカシッキ・ジ・ハーモス、カンドンゲイロ・・・
写真なし



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●JACKSON DO PANDEIRO
2001年出版/出版社:EDITORA 34(416頁)
 ISBN 85-7326-221-4
著者:FERNANDO MOURA、ANTÔNIO VICENTE

ジャクソン・ド・パンデイロの歴史。その時代の音楽や社会背景。
1919年アラゴア・グランジ、1948年レシーフェ・・・
1954年からのリオのレポートが興味深い。
パンデイロのダンス音楽はサンバにも大きな影響を与えている。



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●CHORO
1999年出版/出版社:EDITORA 34 (208頁)
ISBN 85-7326-105-6
著者:HENRIQUE CAZES

リオのショーロの歴史。フルートとショーロ、ピアノとショーロ、
ショーロの録音、ブラジルのギターとは、ピシンギーニャ、
ショーロのパーカッション・・・有名な曲や作曲家の解説
ノルデスチのショーロ、など写真資料も満載。
サンバとショーロはお互いに大きな影響を与えあっている。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

【続く】

  
  


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2012年01月21日

サンバ関係書籍(1)

2012年1月21日(土)

前回の前回のサンバ用語集(13)/ サンバに関する用語 - 2
http://wikipedisamba.ti-da.net/e3703682.html

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専門用語など掲載しておりますが、
これまでのエスコーラでの会話などの他に
サンバ関係、ブラジル関係の様々な書籍も
できるだけ購入するようにして、
その中からの翻訳転載もあります。

どんな書籍があるのか、興味がある方に向けて
うちにある本の一部をご紹介します。
ポルトガル語を勉強中の方にぜひオススメします。

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●DO BATUQUE Á ESCOLA DE SAMBA
1976年出版/出版社:SÍMBOLO社(SP)
 著者:J.MUNIZ JR(280頁)

アフリカから奴隷を通じてブラジルへ伝わったサンバの歴史。
バイーアのサンバ、リオのサンバ、サンパウロのサンバ、
当時のアメリカの中でのサンバなどを紹介、分析している。
写真資料などが素晴らしい。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

●NA RODA DE SAMBA
1978年出版/出版社:MEC/FUNARTE
著者:FRANCISCO GUIMARĀES(242頁)

サンバの歴史、モーホの成り立ち、歌詞の背景、黒人の位置、
カーニバルの歴史、サンバの作曲家など、歌詞や対談も掲載。
最後にサルゲイロの詳細記事あり。著者はサルゲレンセだ。
写真はなし。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

●HISTÓRIA DO CARNAVAL CARIOCA
1987年出版/出版社:EDITORA RECORD
ISBN 85-1-029900-5
著者:HAROLDO COSTA(260頁)

リオのサンバとカーニバルを中心としたルポルタージュ本。
黒人の生活文化圏、ゼ・ペレイラ、バイレ、共同体の発展、
カーニバルに対するマスコミと政治との関わり、
コルダォン、ブロッコ、エスコーラ、ノルデスチ、今後の展望。
写真資料も多く、内容もかなり面白い。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

●BRASIL MUSICAL (BÁSICO)
 1989年出版/出版社:EDITORA ART BUREAU
 著者:RITA CÁURIO (176頁)

写真やイラストなどを中心としたオールカラーの本。
年代別に掲載されており、大変に見やすい貴重な記録本。
インディオ、アフリカ、サンバ、カーニバル、ショーロ、
マルシャ、ボッサノヴァ、ノルデスチ、ロック、
MPBなど全般を網羅。他の書籍にはない写真も多い。



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●AS ESCOLAS DE SAMBA DO RIO DE JANEIRO
1996年出版/出版社:EDITORA LUMIAR
著者:SÉRGIO CABRAL (448頁)

リオのサンバとカーニバルの歴史の本の決定版。
エスコーラ以前のカーニバル、当時の政治経済とサンバの関係、
エスコーラの共同体とは、初めてのデスフィーレ、
ジョアオジーニョ・トリンタのサンバ革命、
リオのサンバアーティストの詳しい紹介(イスマエル・シルヴァから
カルロス・カシャッシャ、カルトーラ、マルサル・・・17名)
貴重な写真も多い。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

●A CANÇĀO NO TEMPO 1901〜1957
1999年出版/出版社:EDITORA 34 (338頁)
ISBN 85-7326-079-3
著者:JAIR SEVERIANO、ZUZA HOMEN DE MELLO

年代別に一般大衆のブラジル音楽のデーター本。
歌手、作曲家、レコードなど。
その年の流行の曲を網羅。とにかく細かい・・・・



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●A CANÇĀO NO TEMPO 1958〜1895
1999年出版/出版社:EDITORA 34 (368頁)
ISBN 85-7326-449-6
著者:JAIR SEVERIANO、ZUZA HOMEN DE MELLO

年代別に一般大衆のブラジル音楽のデーター本。
歌手、作曲家、レコードなど。
ボッサノバ、トロピカリア、ロック、MPB全盛を迎える。



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【続く−2】
  


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2012年01月21日

サンバ用語集(13)/ サンバに関する用語 - 2

2012年1月

前回のサンバ用語集(12)/ サンバに関する用語 - 1
http://wikipedisamba.ti-da.net/e3703010.html

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【サンバ用語集(13)/ サンバに関する用語 - 2】

アシェ/Axé
パワーアップ、いい事がありますように。

マンシェッチ/Manchete 
カーニバル終了後に出るカーニバル写真雑誌。
路上のキオスク(バンカ)で購入できます。
数多く出るカーニバル関係のグラフ雑誌。
現在廃刊? 古本屋で見かけたらゲット!



ガッタ(女性)/Gata、ガット(男性)/Gato
イカした女性、イカした男性。

ガッチーニョ(女性)/Gatinha、ガッチーニョ(男性)/Gatinho
可愛い女性、可愛い男性

モレーナ(女性)/Morena、 モレーノ(男性)/Moreno 
黒人と白人の混血で、白人率が高い場合。
いい女の総称。モデルや女優も多い。

ムラータ(女性)/Mulata、 ムラート(男性)/Mulato  
黒人と白人の混血で、黒人率が高い場合。
スタイル抜群で黒く美しい手強い女の総称。

ネガ(女性)/Nega.、ネゴ(男性)/Nego
純粋な黒人そのもの。

ネゴン(男性)/Negāo
墨のように黒く美しい背も高い黒人。

ネギーニョ(男性)/Neguinho
クロちゃん的な愛称。悪い意味ではない。

モレッキ/Moleque 
元気な子供の総称。だいたい10歳以下。

モレッキーニョ/Molequinho
元気な男のガキんちょ〜という愛称。

クリアンサ/Criança
未成年で10歳〜14歳ぐらいの子供。

メニーナ(女性)/Menina、メニーノ(男性)/Menino
クリアンサとほぼ同じ意味。少女。少年。
わざと大人や年寄りにも使う。

*ヘタこいた男性の大人に「どうしたの僕ちゃんったら!」
 Que coisa menino! / Nossa nenino!

ピショッチ/Pixote
未成年の少年。クリアンサとほぼ同年代。

アドレセンチ/Adolesente
14歳〜24歳ぐらいの青年期。
大きな子供であり、子供のような大人の時期。

ハパズ/Rapaz
少年、青年。若者の総称
ハパズィアーダ/Rapaziada = 複数(少年達、ガキ共)

パリャッソ/Palhaço
そもそもはピエロ。道化役。
笑いもの。笑わせんな。バカみたい。

マノ(男性)/Mano
ポルトガル人を代表する名前「マノエル」から。
実直で真面目で間抜けでKYな男性の総称。
「Cara Mano」あいつマノだからさ・・・

アランヤ/Aranha
蜘蛛の意味。色目や金などで男をゲットする女。
不細工な女の技。欲求不満な女の気まぐれ男漁り。

ジャカレイ/Jacarei
男を食いまくり、男心すらもズタズタにする女。
そもそもは動物のワニの意味。

ジャカレジーニョ/Jacaredinho
立派な「ジャカレイ」な女に成りかけてる危険な女。
でもあえて、そういう女にチャレンジしたい男も沢山いる。
そしてチャレンジした男は、ほぼスタズタにされている。

ピランヤ/Piranha
魚のピラニアの意味。
一人の男を最後の最後までズタズタに食い尽くす女。
類似語;ジャカレイ、ジャカレジーニョ

カミヨンジーニョ/Caminhāodinho
そもそもはカミヨン/Caminhāo=トラックの意味。
後ろにジョーニョがついているので軽トラックの意味。
「ジャカレイ」ほどじゃないけど
何でも積み込めますってこと。何でもOKな女性。

アビオン/Aviāo
飛行機の意味。
トラックより、もっと多くの方々を乗せますって女。

 *ジョルジ・ベンの名曲の中に「ジャカレジーニョ、アビオン・・・」
  という歌詞が登場してます。そういう女に引っかかったのか?

Puta/プッタ
売春婦。プロのお姉さん。

フォッフィーニャ/Fofinha
ぬいぐるみのような抱きごこちの良さそうな女。甘い雰囲気の女。

*ファーファ/Fafa = ふわふわ

アミザージ・コロリード/Amizade Colorido
色付きの友情。セックス・フレンド。

ノッサ/Nossa
なんてこったい(1) 同意語:アヴェ・マリア

アヴェ・マリ〜ア/Ave Maria!!
なんてこったい(2)  同意語:ノッサ

アフ/Aff
うわぁ・・・・、げげぇ〜・・・(1)

ビッシ/Bixxi
うわぁ・・・・、げげぇ〜・・・(2)

サカナージェン/Sacanagem
最低じゃん

●トゥルッタ/Truta
嘘つき野郎、最低

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さらにお下品な言葉しか思いつきません・・・
誤解されちゃうので、これ以上は止めます。



  


Posted by BBB SAMBA OKINAWA at 18:04Comments(0)専門用語辞典

2012年01月21日

サンバ用語集(12)/ サンバに関する用語 - 1

2012年1月20日(金)

前回のサンバ用語集(11)/ ダンスに関する用語 - 1
http://wikipedisamba.ti-da.net/e3702226.html

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【サンバ用語集(12)/ サンバに関する用語 - 1】

【サンバに関する用語−1】・・・・・・・・・・・・

アフロ・ブラジレイロ/Afro Brasileiro  
アフリカからブラジルに来た黒人奴隷文化全般。
1500年にポルトガルのカブラルがブラジル初上陸。
アフリカのアンゴラ、モザンビーク、ナイジェリア、
ベニンから奴隷貿易が始まる。
アフリカからもたらしたオリシャ信仰は音楽や慣習、
食生活など、その後のブラジルの文化に多大な影響を与えた。

(*あまりにもいろいろあるので
アフロ・ブラジルの項で詳しく書きます)

エスクラビダォン/Escravidão
奴隷制度。

キロンボ/Quilombos
逃亡した黒人奴隷の隠れ里。集落。
バンツー系民族のアンゴラでの集落を元祖とする。
語源は記録によると、kilombo" (Quimbundo) や "ochilombo" (Umbundo)。
同意語:モカンボ/Mocambos

キロンボの地図と分布図(http://pt.wikipedia.org/wiki/Ficheiro:Mapa_quilombos.jpg

キロンボ・ドス・パルマーレス/Quilombo dos Palmarres
1624年ペルナンブコ州の山間の州境、
アラゴアス州のパルマーレス地区に実在した
逃亡黒人奴隷の隠れ里(キロンボ)。
その数3万人ともいわれ、反政府的な存在のため、
警察やカトリックから激しい弾圧に対して、ブラジルで初めて
黒人解放運動を起こした場所。キロンボの代名詞。
別名‥Janga Angolana

ガンガ・ズンバ/Ganga Zumba
1630年以降、キロンボ・パルマーレスで
黒人解放運動を実行した最初のリーダー。
ズンビの伯父。ペルナンブコ州警察と激しく戦う。

ズンビ/Zumbi
1655年にキロンボ・パルマーレスで生まれだズンビ。
ガンガ・ズンバの甥っ子。黒人解放運動の最後のリーダー。
ガンガ・ズンバ以降、抵抗の志気がますます高まるキロンボに
教会と政府は1677年ズンビ制圧のため、黒人狩りの名手フェルナン・
カリーリョとペルナンブコ州の軍隊の武力によって、
キロンボはズタズタに崩壊。ズンビも重傷を追いながらも逃亡。
ガンガ・ズンバは1678年に降伏するが、ズンビが戦いを引き継ぐが
1696年レシーフェ政府によってズンビは殺害された。
今でも黒人社会にとっては忘れては行けない
尊敬するヒーローの一人がズンビである。


ズンビの像

ジリギドゥン/Ziriguidum 
サンバのリズムの愛称。昔のサンビスタが愛用していた言い回し。
1962年12月2日にリオのサンバ協会、民族音楽協会、
音楽家組合が共催して第一回公式サンバ会議がリオで開催。
その後1964年6月28日にリオ議会で州令第554号により、
12月2日が「サンバの日」として承認されました。
毎年この日にエンヘードのCDお披露目となっている。

ブンブン・パーチクンブン・プルグルンドゥン/
Bum-bum,Paticumbum,Prugurundum

1982年インペリオ・セハーノの名曲エンヘード。
バテリアのリズムを表した表現。

曲:(http://www.youtube.com/watch?v=6hO33pWKwV0
歌詞:コード譜
http://www.cifras.com.br/cifra/imperio-serrano-(rj)/bum-bum-paticumbum-prugurundum

クァルタ-フェイラ・ジ・シンザ/Quarta Feira de Cinza 
「灰の水曜日」カーニバルの翌日。
怒涛と歓喜のカーニバルが終了し、グッタリしてしまう水曜日の意味。
早朝に衣装のまま路上で寝ている人や売り子、
路上のゴミ…その虚脱感がなんともいえず美しく良い!
昼過ぎにはカーニバルの結果発表を行う。

トレゼ・ジ・マイオ/Treze de Maio  
5月13日。1888年のこの日にブラジルの黒人奴隷制度が法律で完全に全廃。
黒人にとっては忘れられない記念すべき日。伝統芸能やサンバ、
MPBの歌詞の中でよく唄われるキーワード。

ノルデスチ/Nordeste   
ブラジルの北東部。アラゴアス州、バイーア州、ペルナンブコ州、
リオ・グランジ・ド・ノルチ州、セアラ州、ピアウイ州、マラニョン州。


ノルデスチの地図

カベッサォン/Cabeçāo
頭の直径がやたらデカい人。
隠語:セアラー州の田舎の人。

バイアーナ(女性)/Baiana
昔の黒人奴隷の女性の衣装からきており、奴隷文化の歴史の重みを
持つ役割です。大きなスカートが特徴で帽子も含めて、その重さは
約30キロにもあるという。くるくる回転する様子がお人形のようで
大変に美しい。カーニバルでは肝っ玉母さん軍団が中心。
サンバチーム全体の運営を支える婦人会でもあり、チーム内でも
大変尊敬されている存在です。カーニバルの採点で60人以下の
バイアーナは減点に! 


労働者のバイアーナ、当時の衣装。

バイアーノ(男性)/Baiano
バイーア州出身の男性。隠語;黒人の総称。

ビッシャ/Bicha  
小さな虫。隠語:オカマの意味。
カーニバルに欠かせないド派手な方々。
カルメン・ミランダがアイドル。
リオのコパカバーナ海岸などに大勢います。

*同意語:ドラッグ・クイーン/Drug Queen
*バンダ・ダ・カルメン/Banda da Carmen
カルメン・ミランダのイメージの方々の大集合。


ドラッグ・クイーン。歩く現代アート。

ビッシェイロ/Bicheiro  
動物くじの親方。リオのエスコーラの陰のタニマチ?

ファベーラ/Favela  
低所得者の貧民街。リオは山の中腹(モーホ)から始まる。
サンパウロは河川のそばや橋の下、ゴミ捨て場の側など。
現在、外部からの移住(ほとんどがノルデスチ)も年々増加。
増える一方の人口爆発は郊外へ次々と新しいファベーラを増設中。


都市近郊のファベーラ

ファベリーニャ/Favelinha
ファベーラになりかけの小さな集落。

コルチッソ・ファベーラ/
古い高層アパートなどが不法占拠され
内部がファベーラ化してしまうこと。

バグンサ/Bagunça
無茶無茶。滅茶滅茶。やんちゃコキまくる事

アハスタォン/Arrastāo
無茶無茶する人(バグンサ)がいっぱいいる集団状態の事。
集団強盗化する場合もあり危険。

プラッサ・オンゼ/Praça Onze 
リオ市内にある公園。昔サンボドロのない時代は「プラッサ・オンゼ」公園から、
サンバチームがスタートしていた。サンバの歴史に欠かせない重要な場所。

ブンブン/Bumbum  
女性の素敵なお尻。お尻の正式名称はブンダ/Bumda。

*超絶にトロい人は「Cara Bumda/ケツみたいな顔!」とバカにされる。

ブユ/Buyu
善良で正直な黒人男性の総称(あだな)
悪い意味ではない。

ボテッコ/Boteco、ボテキン/Botequim   
小さな飲み屋、居酒屋。 サンバ、ボサ・ノヴァ、ショーロ、MPB……
様々なブラジル音楽がここで演奏されている。
一般大衆に愛されている安い居酒屋「大人のなごみ場所」


こういう感じ

ボーラ・プレッタ/Bola Preta   
リオで1918年12月31日に創立した伝統あるサンバ(マルシャ)チーム。
正式名称は「コルダォン・ダ・ボーラ・プレッタ」。
現在はカーニバル期間にカリオカ広場の裏にあるクラブで、
当時の音楽を演奏しており懐メロ大会。リズミはマルシャ。


黒水玉がシンボル。

マルッコ/Maluco  
ぎんぎんにイッちゃった人。
気違い、気違いじみたことをする人。
サンバ業界では素晴らしい誉め言葉?!。

アニマウ/Animal
凄く元気でノリノリなこと。
興奮した動物ちゃん状態。


  


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2012年01月20日

サンバ用語集(11)/ ダンスに関する用語−1

2012年1月20日(金)

前回のサンバ用語集(10)/ バテリアに関する用語 - 2
http://wikipedisamba.ti-da.net/e3701703.html

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

【ダンスに関する用語−1】

パシスタ(女性)/Passista  
超ビキニ(タンガ)と羽根しょった、サンバダンサーのお姉さん。

パシスト(男性)/Passisto
男性ソロダンサー。ダンステク抜群。オカマ率高し。

アーラ・ダス・パシスタス/Ala das Passisitas
カーニバルでパシスタ候補の新人女性だけの選抜アーラ。
ここから未来のハイーニャが生まれるかもしれない。

ハイーンニャ・ダ・バテリア(女性)/Rainha da Bateria  
打楽器隊(バテリア)の前で踊ることができる、チームから選出される
栄誉あるトップクラスのダンサー。その美貌とスタイル、衣装が注目。
1970年、ムラータのAdele Fátimaが初めて、モシダージ・インデペンデンチ・
パドレ.ミゲルのバテリアの前でハイーニヤとして登場。
1985年にMonique Evansが出演。超有名人女優の初登場。
テレビでの宣伝効果に以後、Luma de Oliveiraがヴィラドォウロ、
Luíza Brunetがインペラトリス、Soninha Capetaがベイジャ・フロールなど
様々な女優が登場。その豪華な衣装と身体の美しさとダンスの技は
大変な注目と話題となっていく。
毎年カーニバル終了後に、その年のナンバーワンのハイーニャも選出される。



 *超有名パシスタのリスト
  (http://veja.abril.com.br/blog/passarela/avenida/o-samba-no-rio/

ダンサリーナ/Dançalina
クラシックバレエなど芸術性の高いダンサー。

マランドロ(男性)/Malandro
元はアフリカの精神文化であり宗教のウンバムダ/umbanda の中の
カチンボー/catimbóに登場する、貧者の守り神「ゼ・ペリーニャ/ Zé Pelintra」から由来。
足技の素晴らしいダンスは男性の色気を最大にアピール。
シンボルの帽子の使い方も粋。


シャペウ・パリェッタ

  *シャペウ・パリェッタ/chapéu-palheta
  *パナマ(帽)/Panamá
  *ウンバムダ/Umbanda = カトリック寄りのオリシャ信仰
  *カチンボー/Catimbó =カトリックとインディオの呪術が混淆した信仰。
   (http://pt.wikipedia.org/wiki/Catimbó)

マランドロは正装に近い服装であること。
ストライプのTシャツの可能。白の革靴は絶対。
ワルであり反社会的、世間で褒められるような男ではないが
大変に魅力に溢れた陰のヒーロー的存在でもある。

 *Malandro 映像http://www.youtube.com/watch?v=IA2HMmOrZLk&feature=related
         (http://www.youtube.com/watch?v=Hi8CY7FZoGc&feature=related


ゼ・ペリーニャ/ Zé Pelintra


ゼ・ペリーニャ

ゼ・ペリーニャはウムバムダの中に登場する貧者の守り神である。
サンポウロ.リオで絶大な支持を受け、サンバと融合していく。
性のシンボルでもあるエシュ/Exéを背後神とした「エシュのライン」とする、
ゼ・ペリーニャは大変にセクシーでなければいけない。
ダンスが上手で女好きでギャンブル好きの遊び人のいい男。
そのことを「マランドロのライン」「マランドラージェン」と表現。

 *ウンバンダの儀式の中でのゼ・ペリーニャ(マランドロ)映像
 (http://www.youtube.com/watch?v=ohhViAtfqdA&feature=related
 (http://www.youtube.com/watch?v=daycRb8kChw&feature=related

(おまけ情報)リオにカーニバル名物、お掃除おじさんRenato氏のダンス。
  エスコーラが通過した後に、お掃除隊が路面を掃除する時に登場する。
 仕事中は踊ってばっかりで会場大受け。ダンスはかなりの実力者。

  *Renato 映像(http://www.youtube.com/watch?v=XmeJoFKN85A&feature=related
         (http://www.youtube.com/watch?v=TPCFYuWguVc&feature=related
          (http://www.youtube.com/watch?v=DyXr3dRC6Vs&feature=related

  *お掃除おじさんグループによる、脱力ラップ映像 / *Gari=お掃除おじさんの総称
  (http://www.youtube.com/watch?v=9KQrjuMAe_g&feature=related

【振り付けの名称】・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

アウトゥーラ/Altura
身体の高さ、腰の位置

アブリウ/Abriu
両足を瞬間広げる。

プーラ、プーロ/Pura、Puro
飛び跳ねる。

ヴィラ/Vila
クルっと回転する

カイーウ/Caiu
全身をアクセントでグッと落とす

カイジーニョ/Caidinho
ちょっとだけ瞬間グっと落とす

クァドリウ/Quadriu
左右の股関節の柔らかい動きのダンス

ヘボラー(ル)/Rebolar
腰をゆっくり回しながらグラインド

チリリッカ/Tiririca    
アフロ色強い昔のサンバ時代の踊りの一種。
2人一組となって、サンバのリズムに合わせて、
カポエイラのジンガよう振り付けをする。

ミウジーニャ/Miudinha
アフロ的なダンスの一種。
上半身は動かさず、すり足で腰だけでグルーヴ感をびんびんに出す。

  


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2012年01月20日

サンバ用語集(10)/ バテリアに関する用語 - 2

2012年1月20日(金)

前回のサンバ用語集(9)/ バテリアに関する用語 - 1
http://wikipedisamba.ti-da.net/e3701587.html

【バテリアに関する用語 - 2】・・・・・・・・・・・・・・・・・

ー楽器の素材やパーツ名称

シャーベ/Chave
チューニングキー


タハッシャ/Tarracha
ヘッドを押さえるリムを押さえるパーツ


ポルカ/Porca
ナット


ペリ/Pele
打楽器のヘッド

ペリ・ジ・コウロ/Pele de Couro
動物の革。本革
羊=Cabra, Bode、牛=Boi
 同意語:ペリ・アニマウ/Pele Animal



*通常の機械仕上げのヘッド

*手巻き仕上げのヘッド

ペリ・プラスチコ/Pele Prastico
プラスチック・ナイロン製のヘッド。


*ペリ・ブランカ(白いヘッド)/Pele leitosa grossa


*ペリ・コン・フィブラ(繊維入りヘッド)/Pele com Fibra
同意語:ペレ・レイトーザ・スーペル・ナイロン/Pele Leitosa Super Náylon

*ペリ・ジ・ヘスポスタ・トランスパレンチ/Pele de Resposta Transparente
カイシャの裏のヘッド。薄手の透明なヘッド。

*ペリ・ジ・ナッパ/Pele Napa
ナイロン製の布のような素材のヘッド


*ペリ・ジ・バンデイラ・ブラジル

カッパ/Capa
ソフトケース 
同意語:エスケース/Escase

*カッパ・ジ・パンデイロ

*カッパ・ジ・ヘピニキ

エストージョ/Estojo
ハードケース

タラバルチ/Talabarte
楽器を肩から下げるためのストラップ。


バケッタ/Baqueta  
打楽器を叩くスティックの総称。


バケッタ・ジ・タンボリン・ジ・マデイラ/Baqueta de Tamborin de Madeira
ボッサやサンバ・カンサォンなど静な演奏時に使用。

バケッタ・ジ・タンボリン・ジ・プラスチコ/Baqueta de Tamborin de Prastico
エンヘードやカーニバルでの回し打ち。非常にデカい音が出る。
年代によって、本数や長さ、材質に流行がある。最近は太めの1本打ちが流行。


バケッタ・ジ・スルド/Baqueta de Surdo
プリメイロ、セグンド、テルセイロからザブンバ用など様々。
先の玉のサイズや固さは流行と好みがある。


バケッタ・ジ・カイシャ/Baqueta de Caixa
ドラム用のスティック。


バケッタ・ジ・バッスーラ/Baqueta de Vassoura
ジャズドラムでのスティック。サンバではほとんど使いませんが・・

プラチネイラ/Platineira
パンデイロのジングル

アバファドール/Abafador       
パンデイロのジングルの間に入れる吸音材

【弦楽器】

カヴァキーニョ、カヴァッコ/Cavaquinho、Cavaco
ポルトガルの小型弦楽器から。
その名前はCavaquinho, Braguinha, Braga, Machete, Machetinho、
Machete-de-bragaと呼ばれており、すべて同類の楽器名。
そもそもは16世紀のポルトガルのブラガ地方の
宮廷音楽の楽器の一つ。
小型弦楽器ブラガは持ちやすさと使いやすさから大流行。
当時のチューニングはスタンダードのré-lá-si-miから
他に、ré-si-sol-sol, mi-dó#-lá-lá, mi-ré-si-sol、
ré-si-sol-ré、mi-si-sol-ré など様々なチューニングが誕生。

ブラガのお城

大航海時代にはブラジルへ渡り「コンガーダ/Congada」の伴奏に
打楽器と共にバンジョー、フルート、カヴァッコも使用。
カバキーニョが黒人奴隷の芸能の融合に初めて関わる。
1930年代、リオ生まれの作曲家で演奏家のWaldir Azevedo(1923-1980)
によってカバキーニョを使用したショーロが登場。
弦は4弦のスチール弦使用。低い方からD-G-B-DやD-G-B-E。

記録によると1879年にポルトガル人によって
ハワイにブラガ(カバキーニョ)が持ち込まれ、
ガット弦のウクレレとして進化をとげる。
カバキーニョ(ウクレレ)を自国の芸能の楽器として使用している国は、
ポルトガル、カーボ・ベルジ、 ブラジル、モザンビーク、
ハワイ、マデイラ諸島など。


ポルトガルのカバキーニョ・ミニョット/Cavaquinho minhoto(小さなカバキーニョ)

ポルトガルは弦楽器大国。ポルトガルにはカバキーニョ・リスボア、
ブラギーニョ・マデレンセなど、様々なカバキーニョが存在するようだ。
ポルトガルのフンシャール製のウクレレも。(これからさらに調べますね)


ポルトガルのサント・マルチーニョの青空市場での楽器売り場でカヴァッコ弾くおじさん。
上記の白黒3点の写真は
「ポルトガルの楽器事典/Instrumentos Musicais Populares Portugueses」より

Cavaquinho (http://pt.wikipedia.org/wiki/Cavaquinho

カバキャール/Cavaquial 
「騒がしい」「わいわい唄う」の古い言い回しのポ語。カバキーニョの語源の記述あり。

【弦楽器メーカー名】・・・・・・・・・・・・

工事中

【楽器メーカー名】・・・・・・・・・・・・・・

まだ沢山あります。どんどん追加していきます。

コンテンポラーニャ/Contemporânea 
サンパウロでサンバの打楽器を製造販売して、50年以上のサンバの老舗。
ミゲール(創業者故人)セルジオ(店長)が中心となって、サンバ、
パゴージ、ショーロを盛り上げている。有名ミュージシャンも多数来店。
土曜日は店内の奥でショーロを演奏。
店前ではパゴージの熱い演奏が無料で行われている。

工場サイト (http://www.contemporaneamusical.com.br/)
店舗サイト (http://contemporaneanet.com.br/LojaVirtual/Inicial.aspx

ゴピ/Gope
サンパウロのサンバ・パゴージの老舗打楽器メーカー。
つぶれる寸前だったが不死鳥 のように甦り現在頑張ってます!。
Gope (http://www.gope.net/Br_Produtos.htm

エヒエムベー/RMV
新しいメーカー。
RMV(http://www.rmv.com.br/novo/index.html
  


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2012年01月19日

サンバ用語集(9)/ バテリアに関する用語 - 1

2012年1月18日(水)

前回のサンバ用語集(8)/ サンバ用語集−4
http://wikipedisamba.ti-da.net/e3700156.html

【バテリアに関する用語 - 1】………………………………………………………

アピート/Apito 
打楽器隊(バテリア)の指揮者(メストレ、ジレトール)が吹く笛のこと。
吹くパターンと手の動き、指の形が言語化されていて指示を出している。  
  
  【例】
  *「ピーーーーピーーーー」/長い音を繰り返す=集合パー
  *「ピピッ」/短い2音づつ=注意、警告、ムカッ
  *「ピピピッ」/激しい短い3音づつ=てめ〜この野郎パンチ!
  *「ッピッピ・・ッピッピ」/裏から2音づつ=そのままバテリアを続けて、移動の指示GOOD

  *キャリアも長く優勝経験の多いメストレには、サンバ協会から
  「金のアピート賞」が贈られる。サッカーの審判にも同様の賞がある。


サンバで酢用されるアピート、低音と高音が出る。

スポーツ競技で使用されるアピート。鋭くよく通る音が出る。

バテリア/Bateria
*カーニバルの採点のポイントともなっています。 
ドラムセットもバテリアと呼ぶので、複数の打楽器の集合体がバテリア。
バテリアとはスルドを中心としたカイシャやタンボリンなどの打楽器の
アンサンブルで構成されたサンバチーム(エスコーラ)の打楽器隊の総称。

グループ・エスペシャルのチームであれば、
ひとつのチームのバテリアは200人~400人で構成。
打楽器の種類はおおまかにスルド/Surdoカイシャ/Caixa
マラカシェッタ/Maracachetaヘピニキ/Repinique
タンボリン/Tamborinショカーリョ/chocalhoヘコヘコ/Reco-reco
アゴゴ/Agogoクィーカ/Cuicaなど。(‥楽器は別枠で詳しく紹介します)
アフリカ的なテーマの時はシャケレ/Xequereを加えたりする。
指揮者(メストレやジレトール)の笛の合図で様々なユニゾンパターンを展開。
各エスコーラで打楽器の配列に特徴があり、聴き慣れてくると、
各チームのリズムの微妙な違いが聞き分けられる。
カーニバル時に管楽器や電子楽器は使用禁止。
バテリアの採点時には、かなりエスコーラ内はかなり緊迫する。
相手チームの点数もかなり気になる重要ポイント。

バテリア

フォルマサォン・ジ・バテリア/Formaçāo de Bateria
バテリアの隊列

  *Grande Rioのバテリア解説サイト
  「Comanda Bateria」をクリックしたら、それぞれのバテリア音を聞けます。
   まず最初にアピートをクリックして下さい。
  (http://carnaval.ig.com.br/rio/veja+como+funciona+a+bateria+da+grande+rio/n1238013007058.html

  *リオのモシダージの映像。機関銃のようなタンボリン・・・
  (http://www.youtube.com/watch?v=V7TIe4KqJpg&feature=related
  *リオのサルゲイロのアフロ・サンバ映像
  (http://www.youtube.com/watch?v=d-PjGgTHXE8&feature=related

バテリア・ミリン/Bateria Mirim
15歳以下のバテリア。子供達のバテリア。

アカデミア・ド・サンバ/Academia do Samba
初心者向けのサンバ練習会(講習会)、バテリアとダンス両方あります。

ガレリア・ド・サンバ/Galeria do Samba
サンバ好きのギャラリー。見物人。

アルマサォン・ダ・バテリア/Armaçāo da Bateria
カーニバル会場のスタート寸前のバテリアが待機している場所。
ここでエンヘードの前にバテリアだけの「アキッシメント」が行われる。
エンヘードとは関係ない、バテリアのテクニックインスト勝負の凄い技連発。
これによってアドレナリン出まくりとなる。

アキッシメント/
バテリアの準備運動のようなもの。筋肉をほぐす。
緊張感を少しづつ高める。集中力を集める。
*類義語:コンセントラサォン(集合場所の意味で使う場合もあり)

コンセントラサォン/Consentraçāo
精神統一。*類義語:アキッシメント(ストレッチ的な意味もあり)
 
  *カーニバル会場でスタート寸前のバテリアが
   待機する場所も同名で呼ばれる。

コンベルササォン/Conversaçāo
打楽器同士の掛け合い。スルド対タンボリンなど。

ヘクオ・ダ・バテリア/Recuo da Bateria
カーニバル会場のデスフィーレの最後辺りで、バテリアだけが
観客席と観客席の隙間に入り、その前を後半の演目が通過。
Youtubeにかなりの数があがっていますので、ぜひ検索してみましょう。

  サルゲイロのヘクオ・ダ・バテリアの映像
  (http://www.youtube.com/watch?v=8i6cf6m-9Og&feature=related
  マンゲイラの2010年、ヘクオ・ダ・バテリアの映像
  (http://www.youtube.com/watch?v=yUxmreA45iU&feature=related

ジレトール・ダ・バテリア/Diretor da Bateria
エスコーラのバテリアで指揮者を10年以内の経験者。バテリアが上手い人が、良いジレトールとは限らない。
全体をまとめる能力がある統率力が重要。怖い顔多し。

コマンダンチ・ダ・バテリア/Comandante de Bateria
バテリアを指揮する責任者。*ジレと同意語。

  *コマンダンチ・ジ・ゲヘイロ/Comanndante de Gerreiro
戦士(バテリア)の司令官(指揮者)

メストレ.ジ・バテリア/Mestre de Bateria
ジレトールを20年以上の経験者。尊敬に値する。超怖い顔多し。
薬物や強盗などの犯罪がらみで逮捕されたり、仲間争いや
ライバルに殺されてしまう時代もあった。
同じエスコーラでは権力争いや派閥もあり、継続はかなり困難。
プレジデンチが変わったら組織が一新される場合もある。
同じチームで20年以上ジレを継続することはなかなか難しい。

 *カラ・ドゥーロ/Cara Duro
お固く厳しいヤツ。

バトゥカーダ/Batucada  
打楽器を複数の人数で一緒に演奏する事。

バトゥケイロ/Batuqueiro
バトゥカーダのメンバー。打楽器大好き人間。

ブレーキ/Breque  
打楽器隊(バテリア)の途中のキメ。

シャマーダ/Chamadaバテリアを呼び起こすの意味。
最初のキメの一発。バテリアの一番最初のきっかけのリズム。
バテリア全体にきっかけを出すこと。
ヘピニキが出すきっかけのこと。

エントラーダ/Entrada
シャマーダとほぼ同意語。

クルザード/Cruzado
クロスの意味。リズムの裏表が逆になったこと。

カイーウ/Cair
リズムが遅くなること。
反対:コヘール/Correr 早くなること、走っている。

デヴァガール/Devagar
リーダーの出したスローテンポをキープすること。
どんどんますます遅くなっては行けない。

バランサ/Barança
バランスに注意! 
ミディアムテンポをバランサと呼ぶ場合もある。

コヘー(ル)/Correr
早くなること、走っている。
反対:カイーウ/Cair

コヒー、コヒーダ /Corri、Corrida
演奏中にすぐテンポが早くなっちゃう人。
大人の会話で別の意味で使われる場合もある。

フリオーザ/Friosa
猛り狂った

フリオーザ・トロッパ・ジ・バテリア/Friosa tropa de Bateria
猛り狂ったバテリア軍団 
 
 *バテリア・フリオーザ/Bateria Friosa  *同意語

アプラウジーダ/Aplaudida
拍手喝采

  *サインド・アプラウジーダ/Saindo Aplaudida
  *アプラウソス・フィナイス/Aplausos Finais 
拍手の喝采の中での最後の(バテリア/エスコーラ)の姿

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

カーニバルの項に追伸 キョロキョロ

サンバ・カーニバル・ヴィトアウ/Samba Carnaval Virtual
2000年からネットの中だけの理想のエスコーラを立ち上げ、
衣装からエンヘードまで、すべて自分で制作するネットエスコーラと
ネットカーニバルがスタート。
LIESV/Liga Independente das Escolas de Samba Virtuaisという
サンバ協会も立ち上げている。HPはお直し中?(www.liesv.com)
グループ・エスペシャルも下のアセッソもちゃんといる。
内容もなかなかである。アニメ好きは自分のエスコーラを作れる。
CAESVとはCampionato Escola de Samba Virtuaisの略。
日本からもぜひレベルの高いチームを作って参加して欲しい。

2008   (http://www.youtube.com/watch?v=2O5VxqEPoLw&feature=related)
  (http://www.youtube.com/watch?v=TVuCWvc6QCg&feature=related
アセッソ(http://www.youtube.com/watch?v=R4w8Gt1cCc8&feature=related)  


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2012年01月18日

サンバ用語集(8)/サンバのジャンルー4

2012年1月

前回のサンバ用語集(7)/ サンバのジャンル−3
http://wikipedisamba.ti-da.net/e3698879.html

【サンバ用語集(8)/ サンバのジャンル−4】・・・・・・・・・・・・

パゴージ/Pagode
パゴージの発祥の地はサルバドール。
奴隷時代に、黒人の使用人達が仕事の後に裏庭の奥で
友人らと集まって遊ぶ「*センザラ/senzalas」から、
ポルトガル語の「fundos de quintais/裏庭の奥」と
呼ばれるようになった。

  *センザラ/senzalas
   ブラジルのアフリカからの黒人奴隷時代の奴隷の居住区や住居。
   土壁で藁葺き屋根、寝床にはパーリャと呼ばれる穀物の穂を敷き詰めていた。
   コロニアル時代の風情ある建物の名称ともなっている。
   (http://pt.wikipedia.org/wiki/Senzala
   (http://www.suapesquisa.com/colonia/senzala.htm

パゴージの名称を使った初めての録音はサンバ関係者ではない。
ミナス出身のビオラ・カイピーラ/Viola Cairira奏者の
Tião Carreiro/チアォン・カヘイロが1959年「Pagode de Viola」で
Pagode Caipira /パゴージ・カイピーラ
Pagode Sertanejo/パゴージ・セルタネージョ」で録音。
コーコやカランゴを取り入れたパゴージのアルバム。
奴隷時代の裏庭の「senzalas/センザラ」のイメージでの
パゴージなのでサンバのパゴージとは少し違うようだ。


チアォン・カヘイロ(http://pt.wikipedia.org/wiki/Tião_Carreiro)

その後1970年にリオで結成したサンバ出身者のグループ
Fundos de Quintail/フンド・ジ・キンタウ」がデビュー。
そもそもは地域のブロッコ「bloco carnavalesco Cacique de Ramos」
から誕生したグループである。
爆発的人気は1980年リオから起きる。
以後サンバ系パゴージが急成長。

 *今年マンゲイラのエンヘードにCacique de Ramosが登場。
 その理由はCacique de Ramosとは1961年リオのオラリア
 地区に誕生したブロッコ。Fundo de Quntalのメンバーが
 チームの創設に関係しており、有名なアーティストとなった
 以降も地域のサンバに貢献し続けた第一号のチーム。
 以降、ゼッカ、ベッチ、ジョルジ・アラゴン、ジョベリーナ
 ・ペロラ・ネグラ、ルイス・カルロス・ヴィラなど次々と
 メジャーのサンバアーティストがブロッコをバックアップ。
 地域のサンバの活性化に多いに貢献するようになった。
 そのきっかけがCacique de Ramos。
 その功績をCacique de Ramos創立50周年ということで
 マンゲイラがエンヘードで取り上げました。
 リオのサンバにとって大事な存在なのがCacique de Ramosだ。

 Cacique de Ramos(http://www.caciquederamos.com.br/

パゴージで欠かせないのが弦楽器のCavaquinho/カバキーニョやGuitar/ギター
タンタン/Tantan、レボーロ/Rebolo、パンデイロ/Pandeiro・・・他、手拍子。
一番メインなのは歌だ。みんなで歌う。
またパゴージで愛用されている独特の打楽器には
低音のTantan/タンタン、中音のRebolo/ヘボーロなど。
特筆したいのがヘピッキ・ジ・マォン/repique de mão
別名、ヘピッキ・ジ・アネル/repique-de-anel
楽器を支える手の指にはめた指輪で金属音をキープしグルーヴを出す。
(楽器紹介でもっと詳細書きます)
  

  ヘピッキ・ジ・マォン
  ヘピッキ・ジ・マォン叩き方映像
  http://www.youtube.com/watch?v=1iKP6KQ_Y3o&feature=related
  ヘピッキ・ジ・アネル叩き方映像 
  http://www.youtube.com/watch?v=Y7JYTSIM9MI


フンド・ジ・キンタウ

パゴージのアーティストリスト
http://www.vagalume.com.br/browse/style/pagode.html

そもそものキンタウとはこんな所。

リッチなキンタウ(裏庭)

よくある洗濯干場兼用のキンタウ(裏庭)

(アーティストやエスコーラ、楽器の詳細は後日追記)



  


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