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2012年01月27日

サンバの歴史−6/奴隷の反乱

2012年1月26日(木)

前回のサンバの歴史−5/ブラジルでの奴隷の生活
http://wikipedisamba.ti-da.net/e3708704.html

前回はサンバのルーツの一つである芸能や
カトリックの聖人の一部を紹介しました。
いよいよサンバのルーツに近づいていきます。
(*年代が前後して、ちょっとぐちゃついてしまいました)

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【サンバの歴史−6/奴隷の氾濫】

1549年 
サルバドール建設。
初代ブラジル総督トメ・ヂ・ソウサ率いるポルトガル人入植者の到着。
砂糖産業と奴隷貿易の中心地であったポルトガル領ブラジルの最初の首都。

サンバの歴史−6/奴隷の反乱
労働者達の様子。コラのような楽器が見える。鎖からは解放されている。

サンバの歴史−6/奴隷の反乱
サルバドールに到着したトメ・ヂ・ソウサ総督の版画。

サンバの歴史−6/奴隷の反乱
1549年~1763年 サルバドールが首都
サンバの歴史−6/奴隷の反乱
1875年のサルバドールの風景

*サルバドールの正式名称はサン・サウヴァドール・ダ・
バイーア・ジ(デ)・トードス・オス・サントスで、
「諸聖人の湾の、聖なる救世主」という意味。

*サルバドール
http://ja.wikipedia.org/wiki/サルヴァドール)
(http://pt.wikipedia.org/wiki/Salvador_(Bahia))

1580年 逃亡奴隷の集落キロンボが当時のペルナンブコ州や
バイーア奥地で記録されている。

1602年、ニコラウ・バレットがサンパウロから270名のポルトガル人を従え
ブラジル内陸部を銀や新たな奴隷狩りを行う*バンデランテスと呼ばれた
探検隊が本格化。当時すでにインディオとの混血のカボクロも存在し、
案内役として奥地の村々では、ツピー・グァラニー系のインデイォ達をも
捕らえ次々と奴隷としていった。

1630年ペルナンブコ州のセーハ・ダ・バヒーガ地域の
逃亡奴隷の集落キロンボ・パルマーレスで、初のリーダー、ガンガ・ズンバが
黒人解放運動を実行。当時のペルナンブコ州は Paraíba, Rio Grande do Norte,
Ceará, Alagoasを含む大きさだった。現在その地域はアラゴアス州内に属する。
ガンガ・ズンバはパルマーレスの首長。ペルナンブコ州警察と激しく戦う。
後に解放運動を受け継いだズンビの伯父である。

1655年 キロンボ・パルマーレスで生まれだズンビ。
ガンガ・ズンバの甥っ子。
黒人解放運動の最後のリーダー。
ガンガ・ズンバ以降、抵抗の志気がますます高まるキロンボに
ペルナンブコ軍警察は襲撃するが激しい抵抗に合い撤退。
ガンガ・ズンバは1678年に一旦降伏するが、ズンビは兄弟の
ガンガ・ゾナと共に解放運動の戦いを引き継ぐ。
1694年ズンビ制圧のため、ペルナンブコ政府の州知事ソウト・マイオールは、
サンパウロ出身の奴隷狩りの名人ドミンゴス・ジョルジ・ベーリョに
パルマーレスの壊滅とズンビの殺害を依頼。
1000人のペルナンブコ州の軍隊の武力によって、
キロンボはズタズタに崩壊。
身内の裏切りの内通によって、ズンビは殺害され
首はレシーフェで展示されたという。
今でも黒人社会にとっては忘れては行けない
尊敬するヒーローの一人がズンビである。

Dia Nacional da Consciência Negra 
ズンビの記念日/11月20日

サンバの歴史−6/奴隷の反乱
サンバの歴史−6/奴隷の反乱
ブラジリアに建つズンビの像

サンバの歴史−6/奴隷の反乱
奴隷狩りの名人ドミンゴス・ジョルジ・ベーリョ

その当時、逃亡奴隷の集落というには人口2万〜3万人の村に
人口が増加していたパルマーレスは徹底弾圧を受けたが、
ノルデスチからサンパウロまで、キロンボは各地に点在し
その数は増加していく。
いくつかのキロンボは現代社会と切り離された生活の中で、
土壁だけの家で貧しい暮らしを営んでいる。
ミナスやサンパウロの奥地やリオの中間にもキロンボは沢山現存する。
子供の教育問題や衛生環境、仕事など問題は山積みで、
インディオ保護区のような政府の保護政策もほとんどない。

サンバの歴史−6/奴隷の反乱
サンパウロ州海岸沿いのキロンボの場所
サンバの歴史−6/奴隷の反乱
キロンボ・イヴァポルンドゥーヴァの住居
サンバの歴史−6/奴隷の反乱
キロンボ・カフンドーの風景
サンバの歴史−6/奴隷の反乱
キロンボ・アンドレ・ロペスに住む女性
サンバの歴史−6/奴隷の反乱
キロンボ・ピラォンエスの子供達

  *おまけ/サンパウロの奥地に日系人の経営するキロンボ温泉がある。
  「えええ?こんな所にホテルがあるの?」という道なき道を行き、
  途中手書きの案内をうっかり見過ごしたら森で迷子。
  しかし突然そこは現れる。ホテルと温泉は別の場所で、
  草原を歩いての温泉に向かう。露天風温泉もあり絶品。
  遠くから聞こえる演歌のカラオケと、キロンボ食堂の
  月見うどんはあまりにも幻妙だ。
  
  キロンボ温泉ホテル
  Hotel Estancia Hidromineral de Quilombo 
  R. Jose Bonifacio, 24-8o.andar

1641年公式記録でリオの知事
コヘイア・ジ・サ.ベネジットが、ポルトガルの王室のドン・ジョアン6世
を記念したカーニバル(フォリーア)を開催。ブラジル最古のカーニバルだ。
盛大な水かけごっこを行ったらしい。後に小麦粉を投げ合ったりもした。
当時はポルトガルの歌曲を合唱。クァデリーリャというペアダンスや
ポルカで踊っていた。イタリア式のカーニバルも混ざり合い、ブラジルの地域
によってヨーロッパの移民のカーニバルの特徴が反映し合うようになる。

サンバの歴史−6/奴隷の反乱
水を掛け合う住民達。水鉄砲がデカい。
サンバの歴史−6/奴隷の反乱
いきなり顔に粉つけられちゃった女性
サンバの歴史−6/奴隷の反乱
キロンボ内での芸能。使用楽器はアフリカそのものである。

,黒人達のリズムも白人に大きな影響を与え「*カルンドゥス」「*カリャンドス」
と呼ばれる躍動感あふれるリズムが次々と生まれた。

「*カルンドゥス/Calundus」「*カリャンドス/Calandos」
カトリックの宗教がルーツ。この白人の芸能に初めてインディオも参加した。

サンバの歴史−6/奴隷の反乱
街を練り歩く演奏者。旗を持っている白人は靴を履いているが
楽器を演奏している黒人達は全員裸足なようだ。
サンバの歴史−6/奴隷の反乱
その当時の楽器の一部。パンデイロにはプラチネイラがついていおる。
ボタンアコーディンもある。

1680年 ブラジル内のポルトガル政府は*トルデシャーリス条約を破棄。
定められた国境を越え、アルゼンチン側に新入し、衝突が勃発。
この頃からすでにブラジルとアルゼンチンは仲が良くない。
こうした内戦は奴隷黒人のさらなる酷使を増長させ、
キロンボをますます増加するきっかけとなる。

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オススメ書籍

サンバの歴史−6/奴隷の反乱
●大邸宅と奴隷小屋(上)(下)
著者:ジルベルト・フレイレ
出版社:日本経経済評論社
ISBN4-8188-1727-9

サンバの歴史−6/奴隷の反乱
●QUILONBOS
政府の無料配布本









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Posted by BBB SAMBA OKINAWA at 01:22│Comments(0)歴史
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