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Posted by TI-DA at

2012年02月06日

リオのエスコーラへGO!

翁長巳酉HP  http://www.deepbrabra.biz/

DEEP BRASIL 通販サイト http://www.deepbrabra.biz/shop/

沖縄サンバBBB ブログ http://sambabbb.ti-da.net/

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2012年2月6日(月)

前回の 2012年カーニバル情報−12/リオのエスペシャル
http://wikipedisamba.ti-da.net/e3722480.html

*専門用語、歴史、リオ、サンパウロなどカテゴリーで分類。
気分で勝手気ままに書いているので、
初めての方はカテゴリーから選択してみるのも手です。
「専門用語辞典」は最初から、ちまちまと用語を
チェックすることをオススメします。


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【リオのエスコーラへGO!】

リオのエスコーラの多くは土曜日の夜に練習をしています。
サンパウロに在住時、だいぶ慣れてきた頃にリオとサンパウロの
両方のエスペシャルのバテリアで出たいと土曜日はリオへ。
日曜日はサンポウロのVAI-VAIで練習と、ダブルで頑張った時期が
4年ほどありました。たしか92年から95年です。

無謀にも金曜日の深夜バスで6時間かけてリオへ。
「2001」というバスが快適です。軽食付き。
土曜日の早朝にはリオに到着し、カテッチ駅周辺の安宿へ。
午前中は楽器屋やCD屋に行き、宿に帰ってまず寝ます。
20時頃起きて、バールでご飯して調べたエスコーラへ一つづつチェック。
夜に市内から郊外のバスに乗って知らない所に行くわけです。
無知だからできた。今はちょっと怖いかも。
マンゲイラやサルゲイロ、チジュカ以外は、もう果てしなく遠い。
途中道を間違ったのではないかと思いつつ、
日本人の私が一人でバスに乗ってエスコーラに行くってことで
「えええ!お前これからモシダージ行くの?」
「ノーッサ!ベイジャに行くの?」と驚かれつつも歓待ムード。
乗客がよってたかって親切。エスコーラに行くための、
一番近くで下車する所を教えてくれるので何も心配なし。
ライブハウスも同様です。

クァドラに到着したら、早速周辺の施設や雰囲気をチェック。
早めに到着しちゃう場合が多く、その時はぜひバイアーナの
おばちゃん達に自分から声をかけて親しくなるべし。
エスコーラのおばちゃんの後ろ盾があればけっこう怖いものなし。
野郎共はどうにでもなるので、まずおばちゃんとお友達になろう。
同性の友達をいかに作るかがポイントです。

バテリアの練習が始まりそうになったら、すみやかに打楽器を
保管している倉庫に近づき、中を見せてもらいましょう。
保管の位置や数、消耗品の管理などをチェックします。
えっと、楽器を取りやすいように整頓して並べているか、
破損した楽器を別にしてメンテナンスしやすいようにしてるか、
スティックやストラップ(タラバルチ)の保管がきちっと
しているかなどをチェック。
楽器を置いてある部屋の掃除が行き届いているかなど見ます。
管理もちゃんとしているエスコーラは楽器も大事にしています。
クァドラのトイレのドアがほとんど壊れているような所もやばい。
ジレや幹部のバテリアメンバーはヤク中ではないってことです。
ここが汚いとけっこうバテリアの統率は荒れてます・・・。
とにかく、何にも動じないエスコーラの肝っ玉母さんのおばちゃん達が
ウロウロしているエスコーラは安心。アホな野郎どもも無茶しません。

これはVAI-VAIでの事ですが、
20代前後のラリった?兄ちゃん同士がクァドラ内で大喧嘩。
殺傷沙汰寸前に、おばちゃんが平然と間に入った。
「あんたら何してんの?」「ヤクでも殺し合いでも何やってもいいから
クァドラの中では禁止だよ。ほらほら練習あるんだから面倒かけんなよ。
とりあえず続きは向こうでやってね。はいはいはい。」って、
見物人も喧嘩も追い出したんですな。
もう見事。喧嘩の仲裁ではなく、場の変更のお願い?
これで見事に目の前から喧嘩は消えました。その後は知らんけど。

さて話は戻り。バテリアの練習が始まったら、いざ叩きたい時は
直訴するためにジレとメストレの顔はよーく覚えておくこと。
まずバテリアのフォーメーションをチェック。どの位置に何名
タンボリンがいて、どの位置に何名カイシャ、何名ヘピ、
何名クイーカ、何名ショカ、何名アゴゴ、何名がスルドなどです。
チームによって、各バテリアの配置にそれぞれ特徴があるので、
人数によって、どう効率良く聞こえるか勉強になります。
そして、バテリアのキメやカイシャのフレーズをできるだけ覚えます。
各エスコーラによって、カイシャのフレーズに特徴があるので
他のエスコーラのフレーズ叩いていたら怒られちゃいますよ。
やつらはちゃんと聞いてます。スティックの動きを見ていたら
なんとなくわかります。同じような動きじゃないのでバレます。
ぴったり同じじゃなくてもいいけど、アクセントの入れる所は
要注意です。これはずしたら目立つ。

こうして、だんだんとバテリアににじり寄るわけです。
お目当てのエスコーラを決めたら何度かそのエスコーラに通います。
カーニバルに出るのが目的なら最低半年以上前から通います。
サンパウロでもリオでもエスコーラのクァドラに
オリエンタルが何度も来るのははかなり目立つので、
「あ!あいつまた来てる!もしかして本当にサンバ好きみたい」
ってみんな覚えています。そして6月ぐらいにジレに直訴して
練習だけでも参加したいという雰囲気で、楽器の出し入れを手伝ったり
いつの間にスルっとバテリアのメンバーに入り込みます。
エスコーラの備品のストラップはかなり臭いので持参した方が
いいですが、一度は臭い目に合うのも経験です。
いろいろヤバイ現場を見る可能性も多いので、何に遭遇しても
一切動揺しないで「あっそう」という態度とオーラを貫きます。
ま、人生それぞれってことです。

エスコーラで得た大きな宝の一つには「一切動揺しない」「解決策はある」
「また次がある」「いちいち騒がない」「とりあえず騒いでみる(確信犯)」
「結果を急がない」「予定通りにはいかない」なぁなぁとは違ったニュアンス
での「白黒つけない」などです。
強い精神力と強い体力、団結力の強さ。
しかしやつらの詰め甘いとこが「うぎーっ!」っとムカつく場合もままありますが、
結果的にそこも良い所なのかもしれない・・・と今になって思うわけです。
サンビスタは人生の達人だ。
とはいえ、最近の目に余る商業主義はもう飽きたです。
地域のぐだぐだブロッコが最近は一番好きです。年だからか?

とにかく日本でたまたまサンバをやるようになって
たまたまブラジルに行くようになった方は、ぜひエスペシャルチームを
徹底的に楽しんだ後は、だんだんリーグを落として地域の
サンバチームやマルシャを体験することを強くオススメします。
サンバのそもそもの原風景をぜひ味わって下さい。










  


Posted by BBB SAMBA OKINAWA at 15:09Comments(0)体験談

2012年01月16日

コラム(3)ふるぼっこ

2012年1月15日(土)

コラム(1)そもそも(http://wikipedisamba.ti-da.net/e3694238.html
コラム(2)それから(http://wikipedisamba.ti-da.net/e3691016.html

【コラム(3)ふるぼっこ】・・・・・・・・・・・・・・・・

前回沖縄の話で終わりましたが、
色々思い出したので東京に戻ります。
バルバロスに入ったきっかけは「ぴあ」です。
はみだしぴあにメンバー募集があり、
高橋さんに電話をして、練習していた体育館のような場所へ。
当時、福島くんってドラマーの方がジレ。
スティックワークがもの凄く綺麗で、上手い人は無駄がないなぁ
と感心してました。あの当時はトミーとか、ガマさんとか、
ナンシーとかタラちゃんとか、後に鷹ちゃんと結婚した
和美とか、オモロイキャラが満載で、
今でも本当にいい思い出しかありません。
あの当時の皆様には本当にお世話になりました。
しかしあの時代は、私は今よりさらにパーでジャンキーで
ビニ本編集者で、渋谷のストリップ劇場の
道頓堀劇場のSMの長田ゼミナールの仕込みの手伝いとか、
今はなき池袋のスカイ劇場のでの仕込みやら、
新丸子にある風情のある劇場で、
カクちゃんの変態ショーの手伝いしていたり、
渋谷の道玄坂のラブホの受け付けしたりと
サンバと同時に、そういった業界の雑用や仕事で、
かなり充実した刺激的な人生勉強の20代でした。
とはいえ・・・非常識な人生の連続です。
迷惑をかけただろう、あの当時の関係者の皆様には
本当に本当に申し訳ありません・・・。
ちなみに、ここ数十年はまっとうな暮らしです。

 で、話はさらっと戻りバテリアの一部のメンバーは
ガマさんと池袋で別練習を行っていました。
豊島園で夏休みに初めて仕事させてもらったり、
貴重な体験と楽屋の使い方、あの手の公園の中の
歩き方とかとても勉強になった記憶がある。
日系出稼ぎがまだいない頃の群馬のなんとか百貨店の
駐車場と屋上のステージでサンバ。
・・・客数名・・・とかなぁ・・・うっく〜・・・
百貨店の店内はタンガの半ケツはマズイので、
オーガンジーとかで覆うように言われてました。
しかし踊っている途中で取れちゃったと。
「ああ〜もう〜ダンサーの連中はったく、仕方ないですねぇ。
本当にすみませんね。後できつく注意しておきますねぇ〜」
ってことにして、のうのうと続行したりしてた記憶も。

今よりカメ公も少なかったけど、もっと図々しい撮り方の
バカもいて、地方でのパレード終了後、送迎バスに
乗り込むダンサーが、タラップに足を上げた所を
下からいきなりカメラを差し入れて局部めがけてシャッター。
当然「てめぇ〜どこ撮ってんだよ!」って絶叫。
ダンサーが怒ってそのレンズをつかんだら、
何故かポコってはずれたわけですレンズ。わはは。
カメラマンも「あっ!」ダンサーも「あっ!」っと目が点。
で、私達は「そのまま乗れ乗れっ」て指示を出して、
ダンサーはレンズを持ったままバスに乗り込んだわけ。
私達はそのカメ公に「てめ〜レンズ返して欲しけりゃ
こっちに取りに来〜い」ってバスの中に誘い込み、
のこのこレンズを取り返しにきたカメ公をフルボッコ。
タコ殴りにしてフィルムを取り上げて、レンズ返して解放。
いや〜凄い時代もあったもんでさ...暴力禁止ハート

〈続く〉



  

Posted by BBB SAMBA OKINAWA at 00:34Comments(0)体験談

2012年01月14日

コラム(1)そもそも

また原稿を消してしまったため再度掲載します。
原稿を奇跡的にバックアップしてくれていた
ブラリオ(http://brario.jp/brazil_info/dancemusic/music/music_top_02_jp_01.php)の武藤様感謝。

2012年01月11日 コラム(1)そもそも

 前回のデーターの羅列だけでは、どうしても何か物足りない。
また、年表形式ではあちらこちら落ちこぼれや追記だらけに。
この機会に、内容を再度見直すことにした。

 よく聞かれるのが「どうしてブラジルに行ったのか?」
「どういう方法で滞在し続けられたのか?」「どうやってバテリアに」
「リオとサンパウロのサンバの違い」「またブラジルに住みたいか」
などなど、これらはもう100万回質問されている内容です。
みんなが聞きたいのはそこかよ?ですが、やはり気になる所だと
思うので、まずその辺から書きながら、
資料やデーターなどを掲載する方法にしようかな。

 さて昔昔、バルバロスに2年ほどお世話になりヘピを担当。
高橋さんや諸橋さんが元気に明るく不良しまくっている頃のお話。
墨田公園でバテリアの騒音に文句をつけてきたホームレスのおっさんに、
●橋さんが「おめ〜いい根性してるなぁ?おらぁ〜おらぁ〜」って
片手にライターカチカチさせながら、ガソリンタンク振り回して猛ダッシュ。
(タンクは空)クレーム親父を追っ払ったのであります。素敵
浅草はたしか4回目か5回目の頃でしょうか? 
チーム数も参加人数も今の3分の1ぐらいでは?
実にほのぼのとしたものです。
 早稲田の学祭では酔っぱらってダンサーに抱きついた学生が
●橋さんに拿捕され、ステージのカーテンの裏に連れていかれて
スルドに合わせてタコ殴りのぼっこぼこにされてました・・・
時々カーテンの向こうから「ボスっ」「ううっ・・」「ガキっ」「あうっ・・」
って聞こえるのだよ。いや〜きっぱりしてますな
とはいえ、未来のある優秀な学生なんで、当然浅草の素敵な先輩方は
優〜しく社会を教えているわけですな。

 当時サンバの楽器なんぞ簡単に買えない時代。
楽器屋にはサンバ系の打楽器なんそ、どこにも売ってなかった。
店員も知識ゼロだし。あったとしてもすんごい値段
ヘピなんて楽器屋に聞くだけ無駄。店員に「はぁ〜?」と言われてチーン。
タンボリンが1個13,000円。すぐ折れるスティックが3,000円。
ウッドのスルドは60,000円ぐらいだっけか?
銀座のヤマハで1個だけ売っていたとか、渋谷にあったとかガセ情報ばっか。
 その頃バルバロスのメンバーでアルミ加工の専門の方がいて、
バルバロスの一部の面々はその人に楽器を作ってもらっていました。
もう発注しても数ヶ月待ちの大人気。だって楽器屋に売ってないからね。 
 私はヘピがどういう楽器かよくわかってなかったので、
軽い方がいいやと、片面ヘッドのヘボーロのようなヘピが完成だ。
今はマルメ(http://www.marmelada.jp/)があるから良いね。

続く
  


Posted by BBB SAMBA OKINAWA at 01:54Comments(0)体験談

2012年01月11日

コラム(2)それから

2012年1月11日(水)コラム(2)それから

前回の昔話の続き。

前の記事→http://wikipedisamba.ti-da.net/e3690741.html

勿論あの頃はCDもありません。レコードだけ。
ましては映像なんかVHSもDVDもありません。
現地の映像は本当に見たかった。
テレビで出るカーニバル映像なんて、私が見たいバテリア
など出てもほんの数秒だけ。
私はバテリアだけ様々な角度で最低2時間は見たいわけです。
ダンサーばかりしか放映しないわけです。
だからあの当時も現在でもサンバ=裸姉ちゃんと言われる。
裸姉ちゃんもスッゴク素敵で大事なんですが・・あうう。
この思いが後に映像記録の動機に・・・

バテリアが入っているレコードの入手も大変でした。
中古レコード店とか、ディスクユニオンの何とか店に
詳しい店員がいるとか、そういう口コミ情報で
知識のある店員の方々から教えてもらいました。
きっと何十名も殺到?そんないないか?
その中で当時バルバロスの鷹取さんには大変に
お世話になりました。あの頃、信じられん数の
サンバ関係のレコード収集者。全国3位に入る?
で、カセットテープにオムニバス編集してくれて
いろいろ聞かせてくれました。(ま、コピーですな)
もう貴重でした。唯一の音源ですから。

ブラジルに行くチケットも、あの頃は往復で40万円前後。
知りあいにブラジルに行った人は皆無。
実際の情報なんかほとんどない。
80年代の東京で、生の動いているブラジル人を
初めて見たのはフランシスかも。そんな時代でした。

そうこうしているうちに、一度沖縄に帰省。
第一回世界のウチナーンチュ大会が開催。
前夜祭でのブラジルのコーディネーターを担当。
しかしバテリアもダンサーもいません。
バルバロスからバテリアの衣装を譲っていただき
アーラとして使用。羽根はなしでダンサーのタンガを
10着ぐらいお借りして、アメリカンスクールの
ファンキーな姉ちゃん10名を用意。
別にサンバをちゃんと踊れているかどうかは関係ない。
客はそんな所は見てない。若くて元気があればGOOD!
で、なんちゃってALAも作り、沖縄のブラジル関係者と
今はなき「南米資料館/ポン・ジ・アスーカル」の
照屋さんのご協力で連日連夜製作。
飛び込み企業の広報に援助の交渉。KDDがTシャツ制作、
シェーキーズからピザハットの提供を受けました。
おかげでどんなに助かったかもうもうもう。
何百名のブラジルアーラでバテリアはたった2名。
今では考えられない無茶をしたなぁと反省。
東京から諸橋さんマラバとブラジル人ダンサー2名を
ご招待し(マジ)大暴れ。沖縄県民がブラジル人ダンサーの
サンバを初めて見た「チビフリハゴー大会」
ウリヒャー、デージヤッサー、アキサミヨーであった。

バルバロスのその衣装は、使用後に高良幼稚園に寄贈。
なんとつい最近まで幼稚園のイベントで使用してたらしい。
さすが20年以上も使ったので先日ついに廃棄したんだと。
20年以上も使い続けるって凄いわ。
大事にすれば使えるってことですが、沖縄的感覚でいえば
ボロボロとか、汚いとか、揃ってないとか全然気にしない。
見た目より、いかに盛り上がっているかが一番大事。
那覇市内の幼稚園なのにスピリットはペロかモーホだ。

〈続く〉

*チビフリ=お尻をがんがんに振る。
*ハゴー=げぇえええ!
*ウリヒャー=ほらほら、うぉおお!
*デージヤッサー=凄いね、大変だね。
*アキサミヨー=何てことだ。




  


Posted by BBB SAMBA OKINAWA at 13:58Comments(0)体験談