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2012年06月11日

サンパウロのサンバ/VAI-VAIの歩み(8)

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*専門用語、歴史、リオ、サンパウロなどカテゴリーで分類。
気分で勝手気ままに書いているので、
初めての方はカテゴリーから選択してみるのも手です。
「専門用語辞典」「歴史」を最初から、ちまちまと用語を
チェックすることをオススメします。


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2012年6月11日(月)

前回の サンパウロのサンバ/VAI-VAIの歩み(7)
http://wikipedisamba.ti-da.net/e3869013.html

  Osvaldinho da Cuíca(3)

 去年サンパウロの文化施設のSESC VILA MARIANAで
サンパウロの古きエンヘードを、それぞれの地区の
エスコーラで歴史あるベテランサンビスタが集まっての
ライブ「Cinco sentidos/ o enredo do samba paulistano」
が行われた。演奏の合間のメンバー同士の思い出話や
今だから言える小話などで盛り上がったという。
メンバーはOsvaldinho da Cuíca [中心部],
Oswaldindo Babão [北部地区]、 Fiotti [南部地区],
Marco Antônio [東部地区] 、 Ideval [西部地区]
Thobias da Vai-Vai、Leci Brandão, Teresa Cristina
Dona Ivone Laraがスペシャルゲストで共演。

サンパウロのサンバ/VAI-VAIの歩み(8)
このイベントの「Cinco sentidos」の面々。

Osvaldinho da Cuícaの事は紹介済みなので、
共演者をご紹介する。

Osvaldinho Babão /1951年生まれ。初めてのエスコーラは
ペルーシで男性ダンサー出身。Vai-Vaiではメストレ・サラを務める。
TucuruvIの創立に関わった。初めてのエンヘード作曲はNenê da Vila Matilde。
その後は作曲の才能が大爆発。サンパウロのColorado do Brás,
Renascença da Lapa, Império do Cambucí, Pérola Negra, União da Vila Prudente,
X-9, Unidos da Vila Maria, Vai-Vai,など様々なエスコーラに曲を提供。
リオでも暮らしており、Unidos de São Nicolau, São Clemente,
União da Ilha do Governador、 Portelaにも曲を提供している。
サンパウロ出身でリオでも業績を高め、サンバダンサーから作曲家として
大成功したサンバの歴史の現役ミュージシャンの一人。

Marco Antonio /1950年生まれ。サントス育ち。
1967、1974。1984年にmpério do Sambaに参加。
作曲家としてMocidade Alegreへ。それから“Seu Nenê”と出会い
息子のBetinhoの誘いでNenê da Vila Matildeへ。初めてのエンヘード
は Nenê。2003年にNenê de Vila MatildeのVelha Guardaの
ミュージカルが大成功。サンバの歴史と歩んだ男である。

Fiotti /1944年サンパウロ生まれ。
9歳でLavapésでサンバを始める。1970年に作曲家、歌として
Meninos Lá de Casaというチームに参加。
1971年にBarroca da Zona Sulへ。(1986年年ブラジルのエスコーラで
初めて日系社会をテーマに、日系人を多く招待したチームだ)
その後Camisa Verde e Brancoでプシャドールも務めた。
現在サンバ組合「Federação das Escolas de Samba de São Paulo」
の会長である。

Ideval Anselmo /1940年サンパウロ郊外の
Catanduva生まれ。18歳の時にカーニバルのバイレですっかり
サンバにハマる。1972年にCamisa Verde e Brancoへ。
この年に彼が作曲したコルデウをテーマにしたエンヘードが採用。
その後Nenê da Vila Matilde, Tom Maior, Rosas de Ouro e Peruche
など21のエスペシャルのエスコーラ、3つのブロッコで活躍。
エスペシャルの下のカテゴリーのチームも会わせたら50以上の
チームに関わったという。エスペシャルでの優勝経験は7回である。

ここでもわかるように、一部の有能な作曲家やダンサーは様々な
エスコーラを移籍し渡り歩く。人気のポルタやパシスタ、作曲家は
各チームで争奪戦。ギャラも10倍だ。勿論ギャラだけではなく、
頼まれたら断れないすっごく人のいいサンビスタだって
いることはいるのだ。勿論
今回のメンバーもそれに近いだろう。様々なチームで活動をして結果を
出す事で、次のステップとなるかならないか・・・運と神のみぞ知る。
何故ならお金で動く人は、結局最終的にどこからも呼ばれなくなる。
チームや仲間の信用も尊敬も尊厳も失う。アル中、ヤク中率も高い。
中には海外のサンバファン相手に国外へ移住しちゃう人もいる。
きっかけの多くは外国人の奥さんの国への移住。
サンバ大好きな奥さんにゲットされちゃうのだハート
それもまた良しである。その国のサンバ好きに貢献するのだ。
しかし幸せな晩年を迎えることができるサンビスタもいる中で
金と権力争いのいざこざで死んでしまう場合も。
薬物に手を出さない限りはとりあえず安全・・・とりあえず。

こうして営業活動ができるベテランサンビスタは(*売れたい
サンビスタはあまりにも売れ線主義なため、業界に翻弄され
結局は鳴かず飛ばずで売れもせず消える。残るのはボーカルだけ?)
話が脱線したが、こうしたベテランサンビスタ達は、ある程度の
キャリアを積んだらサンバのライブ活動や音楽の仕事以外に、
チームと地域の支援を続けた人だけが「Velha Guarda」となれる。
売れてもエスコーラやチームとのつながりを継続したサンビスタ
だけが万人に賞賛されるのだ。やはり人となりである。

2009年“Batuqueiros da Pauliceia”がBarcarolla出版より刊行。
Osvaldinho da Cuícaと音楽評論家でAndré Dominguesの共著作。
サンバの歴史本。まだまだ隠れた情報が沢山あるのである。
marcha-sambada, batucada de engraxates, samba-rock、
Henricão, Geraldo Filme, Adoniran Barbosa e Toquinho・・・
まだ読んでいないので、書評の中に書いてあった
「Vanguarda Paulistana」「túmulo do samba」の意味は
わかりません。ま、そのうちわかり次第掲載します。
そして再読に値するのがサンバの発祥地Pirapora Bom Jesus
の話である。まだまだほとんど無名だが「samba-de-bumbo」
は本当に素晴らしい。オリシャとカトリック、サンバを
とりまいた時代の政治にも触れている。ブラジルに行った際は
この本を探しているのだがなかなか購入できない状況・・・ガ-ン

サンパウロのサンバ/VAI-VAIの歩み(8)
“Batuqueiros da Pauliceia”




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Posted by BBB SAMBA OKINAWA at 13:30│Comments(0)サンパウロ
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